普段のズボン(その2) いろんな事があったっけ(会社員時代)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
榛名湖ワカサギ釣行
会社の同僚5人でワカサギ釣りに行く話が決まった。
それは今から20年前の話だ。



1996年3月2日(土)

上野駅集合。
あさま15号(16番線)長野行。
12:00上野発。
13:06高崎着。
13:30(バス)高崎発。
14:55榛名湖着。バスを降りてから旅館まで徒歩40分。

3月3日(日)
寒い。
早朝5時に起き、身支度して凍った湖上に出る。
宿で先端がノミのようになった鉄棒を借りる。
手袋をしていないと手に鉄棒が凍りつく寒さだ。
大勢ワカサギ釣りの人たちが出ている。
イザ、その鉄棒で氷の“穴あけ”に掛かったが、
やり始めてすぐに分かった。

榛名湖1榛名湖2

5分やっても10分やっても鉄棒が跳ね返される。
ガッチガチに凍った厚さ約30~40cmの氷はコンクリートと同じ。
そんなもんじゃ穴が開くまで1時間以上掛かる。
“氷”をナメンナヨ。

これじゃラチが開かないから年長の人が
近くにいた常連おじさんから年の功で借りて来た手動ドリルを使う。
さすが文明の利器、あっと言う間に直径15cmくらい穴が開く。
「なんだったんだ、さっきのあの無駄な労力は」

ま、とにかく寒い。
仕掛けにエサを付けて穴に下ろす。
たえず上下に動かしてワカサギを誘う。
それにしても寒い。
せっかく開けた穴がまた凍り始める。
凍らないように棒で突く。
待てど暮らせどアタリがない。
地元のセミプロは氷上に小さな小屋を持っている。
それ以外の常連たちは自分の釣り用テントを持っている。
われわれのような思い付きのド素人は吹きっ晒しの湖上でなにも遮蔽物がない。
時折思い出したように雪を巻き上げた風が舞う。
顔に当ると痛寒い。

普段“おしゃべり”で、黙っている瞬間が無いという評判のKクンが
寒くてアゴが固まりフリーズ状態になっている。
ま、静かで良かったが。

(♪ 北へ帰る人の群れは誰も無口で海鳴りだけをきいている~)


テントに入っている連中はアウトドア用のガスコンロでお湯を沸かしてコーヒーなどを飲んでいるようだ。
たまにテントを開けて「あ~暑い」などとほざいている。


榛名湖3榛名湖4
(左/暖かいテント組、右/われわれ寒い)

「やってらんねえ」と5人があきらめた頃にY君にアタリが来た。
やっと1匹釣れた。
5人で2時間やって、たった1匹。

釣り上げたワカサギはすぐに凍ったのだった。
会社のOB会
昨夜、以前勤めていた会社のOB会が開かれた。
つい先般同じくOB会員だったT氏が逝去したので追悼するのが目的だ。
まだ50代で働き盛りだったのに「生死」は全く予断を許さず。
合掌。

年齢がそれなりに凸凹するのに
不思議に和気藹藹でいい雰囲気である。
同じ釜のメシを食った(同じ空気を吸った)関係だからかな。
13人が集まり久闊を叙した。

会場は有楽町だったが家を早めに出てJRを神田で降り、
二駅をぶらぶら写真を撮りながら歩いた。

OG会1OG会2OG会3
そいつ
ある朝、出勤して来たそいつを見てびっくりした。
片腕を吊って、オデコとアゴに絆創膏が貼ってあった。

みんなが「おい、どうしたんだよ」と声を掛けた。
てっきりケンカでもしたんだろうと思った。
「いや~」と言葉を濁してどうしてもはっきり言わない。

夜になっていつもの呑み屋に行ってからやっと真相を言った。
「酔っぱらって歩道橋の階段から落ちた」んだそうだ。
以降そいつは「生傷男」と呼ばれるようになった。
腕は骨折ではなく打撲だそうだ。


そもそもそいつは変な男なのだ。
自宅近くのナントカというスナックの常連だといつも吹聴していた。
何回も言うのでとりあえず会社のみんながその事を知っていた。
会社近くの店で呑んでから
同僚をその自宅近くのスナックに連れて行きたがる習性があった。
一度などなんと、社のトップさえ連れて行った事があるそうだ。

ワタシは居酒屋は好きだが、スナックというのは好きでないので
何回も逃げ続けていたが、
1回だけ断り切れず仕方なく連れて行かれた事がある。

タクシーに乗せられて着いた。
そいつとワタシはカウンターに座った。
奥の方のテーブル席ではお客さんたちがカラオケを歌っている。
まあ普通のスナックというか、
ちょっと場末風の、なんの変哲もない、
なんの取柄もないスナックだった。
なんで連れて来たがるのか謎でしかない。

しかもである…。
常連さん的な扱いを受けていないのである。
そいつ自身は常連的な会話でカウンターの中の人に
親しげに話しかけるのだが、応対の温度が低いのである。
「なんだかなぁ」

そいつはチャーハンをオーダーした。
ワタシも同じものを注文して食べ始めた。
途中でなんとそいつはレンゲを持ったまま
カウンターに突っ伏して寝始めた。
まさかの展開に意表を突かれた。
肩を突っついてみたが起きない。
揺さぶってみたがそれでも起きない。
大きく揺さぶったがどうしても起きない。
そんなに量を呑んでいないと思うんだが。

「困った」
そいつの家も知らないし、
第一「ここがドコか」も大雑把にしか分からない。

カウンターの中の人に
「この人いつもこんななんですか」と聞いた。
「うん、放っときゃいいですよ。その内起きるよ」

日付は変っているし、しょうがないからそいつを置いて先に帰る事にした。
念のため店の人にもう一度確認すると、
その内、自分で帰るよとあまり気にしていない。
なんだか狐につままれたような感じのまま、
大通りらしき方角に歩いてタクシーを拾って帰宅。


翌朝フツーの顔でそいつは出社した。
「お前、チャーハン食いながら寝ちゃったんだけど覚えているか」
「へへへ…」
まったく変なヤツである。

その後聞いた話では、食べていたチャンポンに
ガクンと顔を突っ込んだ事もあるそうだ。
う~ん、ミスター・レジェンド。

テーマ:こんなお話 - ジャンル:ブログ

カラオケとカケラ
3ヵ月毎に歯科の定期検診に行っている。

もう10年以上、歯科の定期的な診察を受けているので、
何かあっても軽微な段階で処置されるから大きな問題は起きていない。

歯石を除去したり、普段の歯磨きでは届かない所を磨いたりなどしてくれる。

しかしあの高音の「キーキー音」が嫌。何とかならないものか。
慣れるという事がない。
耳を塞ぎたい。
痛くなくても痛さを感じさせる。

キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル、キュル。
キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー、キー。
キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ、キリュ。
シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル。
キリキリ、キリキリ、キリキリ、キリキリ、キリキリ。
(別に、安易に行数を稼いでいるわけではありません)

それと、歯科助士に口が不自然な態勢なのに話しかけられても…、
返事が、「ー」
空気がもれるだけで声にならず。



ところで…、以前こんな事があった。
会社員時代の正月休みの前の日、今日が今年最後というので
午前中に大掃除して午後は“打ち上げ呑み会”で社内で呑む。
それからカラオケに7~8人で行って大いに盛り上がった。
明日からしばらく仕事がないという事で気がゆるんだ。
かなり酔ってフラフラ歩きの帰路、家まであと百メートルくらいの所で転ぶ。
翌朝目が覚めてなんか前歯が変。
鏡を見ると「あちゃ~」。
前歯の1本が少し欠けている。
数ミリくらい斜めに。
「昨夜のあれだな」

カケラを探しに行ったがとうとう見つからなかった。
あまりにも小さい破片だからね。
カケラを歯医者に持って行けば接着剤でくっ付けて
くれるんじゃないかと思ったんだけどな。
結局年末年始なので行きつけの歯科も休みだから
年明けまでそのまま過ごす。
年始の顔合わせの日、なるべく大笑いしないように気をつけた。

「歯、どうしたの?」なんて若いアンちゃんなら笑い話のネタになっても、
おっさんだと「いい年して何やってんの、…ったく」でしかないからね。

“反省”でございました。
会社のOB会
昨夜、以前勤務した会社のOB会があった。
2年ぶり。
懐かしい顔ぶれで、すぐに昔の調子に戻る。
学校の同窓会ではないので年齢にバラツキはあるが、
皆それぞれがそれなりの地位についている。

会場はかつての溜り場だった居酒屋だが、
特筆はそこの先代のマスター(73歳)も顔を出してくれた事。
一緒に悲喜こもごもの時間を共有したので一体感を感じる。
今はセガレさんがマスターをしている。

ワタシは中途で退席して帰宅したが、
たぶんその後も元気なおじさんたち(おばさんも一人)は騒いだのだろう。

幹事さんご苦労さんでした。

帰宅して深夜のテレビでオリンピックの女子サッカー
「日本vsブラジル」を見る。2-0で勝った。

ちょっと良い一日であった。

鳥八
行旅死亡人
以前、仕事の関係で「官報」を見る機会がたまにあった。
官報は日本国の機関紙として法令により発行されている。
それまでは官報などというものは縁が無くて見た事が無かった。
それを見て初めて知ったのが「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」という言葉と内容だった。
行き倒れなどで死亡したが身元が分からず関係者に連絡のしようがないケース。
それでも行政はなんらかの処理をしなければならず、法的手続きの一環として官報に掲載して関係者に注意喚起し公的な報告義務を果たす。
発見日時、発見場所、性別、推定年齢、身長,身体特徴、服装、所持品、所持金などが記されている。
所持金38円などと記してある。
日によっては、そういうやるせない記事がずらっと並んでいた。
歩きながらのケンカ
10年くらい前のある朝の事。
9時少し前くらいの時間だった。
ワタシは会社を出て営業に向うべく駅に歩いた。

JR新橋駅から出た出勤の会社員の人波が、
駅前横断歩道を渡って銀座方面に歩いて来た。
向うから並んで歩いて来る若い男の会社員と、
中年の女性会社員がなにか大声で言い合っている。

「このばばぁ、うるせぇ」と若い男が言えば
「なにを、この若造がぁ」と中年女性が言い返す。
すれ違ったワタシはこの意外な状況にびっくりした。

通勤電車の中か、駅の中で何事かがあったようだ。
しかし朝の通勤時間である。
遅刻しないためには一刻の猶予も無いのである。
ゆっくりケンカをしている時間など無い。
どうやら偶然お互いの会社が同じ方向なので、
とりあえず歩きながら口ゲンカをしていたという訳だ。

その後あの二人はどうなったのかな。
横断歩道ですれ違っただけなので分からない。
どこかの角ですっと別れたんだろうね。
あるいは捨て台詞なんてのもあったかも。
求職時代
男で職が無いという境遇はホトホト辛いものである。
あれは2番目と3番目の会社の間の時期だったか、こんな事があった。
30年以上前の話。

駅や街を歩くとみんな忙しそうに目的地に向っている。
みんなは目的地に向って歩いている。
ワタシには何の予定も無かった。

求職期間が春から夏だとまだいいんだが、
秋から冬だった日にゃツライもんです。
寒くなって来て、どんより曇っていて、
街行く人たちがコートの襟を立てて足早に行き過ぎるなんという光景を、
ぼんやり眺めるなんて境遇に身を置いたら泣きたくなりますよ、全く。

朝起きて自宅の新聞の求人欄を見て適当なものがなく、
(当時、求人雑誌は無かった)
他の新聞の求人欄も見たくて日比谷図書館に行った。
まだ開館時間には早くて、途中のマクドナルドで買って来た持ち帰りコーヒーを、日比谷公園のイスに座ってぼんやり飲んでいたら、自転車に乗ったおじさんが近寄って来た。
「おニイさん、仕事あるよ」
最初何の事か分からなくて「ん?」となったが、
すぐに手配師かと理解した。
「いや、いいです」と断ったらあっさり離れて行った。



とにかく親しく話しかけて来るヤツは要注意。

今度は飯田橋職業安定所。
案件をいろいろ探したがなかなか良いのがない。
やれやれ。
難しい顔をしてイスに座っていたら
若くて感じのいい人が話し掛けてきた。
スーツを来て、涼しい顔のなかなか二枚目だった。
この人もワタシと同じように職安に来て
首尾が思わしくなくて気落ちして、
人恋しくなって
近くにいた同類であるワタシに話し掛けたんだなと思った。
「近くでコーヒーでも飲みませんか」と言われ移動した。
5~6分、当たり障りのない求職話や世間話をした。

ところが少し話題が変わって来た。
「職を探しているんでしたらいいところがありますよ」などと言い出した。
「え?」なんのこっちゃ。
こっちは先方も同類の求職者だと思っていたのに…。
段々話を聞いたら、この人はある有名生命保険会社の営業社員だった。
「当然すぐには決断出来ないでしょうから、最初はアルバイトでやってみてその結果で社員になるかどうか判断すればいいんじゃないですか。もちろんバイト代は出ますし」
「…」
う~ん、ちょっと困った。
それまでてっきり同類だと思って親近感を持って話していたのに
なんか裏切られた感じ。
しかし手の平を返すようにあまり極端に冷淡な対応をするのも憚られた。
名刺も渡され、一応ちゃんとした会社の社員の確認も取れたので
どんな会社か覗いてみようかという事にした。

この人は営業仕事の合間に職安に網を張って求職者に声を掛けるリクルーティングで小遣い稼ぎしていたんだ。
ワタシを連れて来た実績で後日「奨励金」を貰っていやがら…。
その時も表情はシレッとしていた。

同時期にリクルートされたヤツと一緒に1週間くらいバイトをしたが、
結局ワタシはどうも経緯が釈然としなくて、
なんとか言い訳をして入社しなかった。
それは何十年経った今考えても良い判断だったと思っている。
恐怖のビール社長(4/4) ~ふと我に返るの巻~
会社には写植機が2台あった。
「モリサワ」と「写研」という2大写植機メーカーの機械が1台ずつ。
ワタシは会社に入ってから初めて写植機に触った。
全くの素人だったが見よう見まねですぐ使えるようになるものだ。
最初は見出しのような短い断片から始め、次第に文章も出来るようになる。

写植(写真植字)の現像作業は写真現像とほぼ同じだ。
文字を露光した印画紙を、社内の暗室で現像し、定着させ、乾燥させる。
薬液の独特な酸っぱい匂いが思い出される。
現像液の温度も重要で、寒い冬など現像液の温度が低くて文字が充分に黒く浮き出て来ず「灰色程度」にしかならずに焦る事もあった。
そんな時は1~2時間掛けて打ちこんだ膨大な労力が無駄になってしまう事態でもあった。
そうかと言って現像液を温め過ぎるとあっという間に現像が進んで、
白地さえもグレー掛かって、これもまた使い物にならなくなってしまう。
その他「とんでもない失敗」としては、
ぼんやりしていて「ついうっかり」現像中に自分で普通の照明スイッチを点けてしまう事。
また現像中なのにも拘わらずに、それを知らずに他の人が「うっかり」暗室の戸を開けてしまう事。長い間にはいろいろな事があるもんだ。

現像した印画紙を乾かす時、乾燥機(電熱式)にセットして熱で乾かすのだがその乾燥機は「入」と「切」のスイッチしかない、つまりタイマー式ではなかった。当然「切」のスイッチを忘れたら火事の危険が多分にある。
チーフのSさんの体験話では「以前夜遅くまで仕事していて深夜に帰宅したんだけど、“あれ乾燥機のスイッチを切ったかな”と不安になって寝られず、またタクシーで会社に確認に戻った事があった。幸いスイッチは切ってあったけどねぇ、いや~焦ったよ」との事。あぶない、あぶない。

当時「写植オペレーター」という職種があった。
企業内でもレッキとした職種であり、また写植機を用意して独立しても食べて行けた。
ところが「パソコン」と「DTP」が普及し始めたら、忽然と消滅してしまった。
世の中の技術革新というものはつくづく恐ろしいもんだと思う。
フイルムカメラの設計技術者もデジカメが出来て不要になってしまった。
たぶんもうじき内燃エンジンを動力にする自動車の設計技術者も似た顛末になるのではないか。
電気自動車は従来の自動車に比べ、部品数が1/3とも1/4とも言われているようだ。
従来の巨大メーカーでなくても、新規参入会社が比較的簡単に作れてしまうらしい。

話を元に戻す。
スキーの月刊雑誌はその性質上、季節にとてもシンクロしているので
夏は薄く、秋から冬はかなり分厚い。
(今はどうなのか知らない、すっかり疎くなっている)

夏の終わりころ、その雑誌の繁忙期に向けてかなりの増ページがあるので
まとまった写植受注があった。
いつもの仕事の他の臨時仕事なので3日くらい泊り込みをした。
着替えのパンツ持参で出社して
お風呂は会社の近所の銭湯に行った。
眠い目をこすりながらの写植打ちなので
深夜になるとミスも目立ち3~4時間は仮眠した。
なんとか乗り切るとそれなりに達成感は大きかった。

秋が過ぎ2回目の正月休みを迎えた。
無我夢中で過ごしていた日常からポッカリと離れて“われに返った”。
「あれ、こんな事しながら5年先10年先もずっとこんな感じで過ぎて行くのかな」「ただ毎日が忙しく自分の事を何も出来ずに日々が過ぎて行くのかな」「どう考えてもこのままじゃいけないな」
忙しくてお金を使うヒマがなく、住まいは親元なので部屋代も掛からず、親は自営業で頑張っていたので、給料はほぼそっくり残っていた。
「よし、ここはイッチョウ海外旅行でもしてみよう」

小さな会社なので在職したままの長期休暇はムリ。
また、すぐには会社を辞められないのは分かっている。
とりあえず退職を心に決め、円満退職をめざしいろいろな準備に取り掛かった。
そしてその年の8月に退職した。
結局約1年9ヵ月位の在職期間だった。

9月末から10月初旬にかけて2週間の団体ヨーロッパツアーに参加した。
宿題の無い夏休みのようで心から満喫した。
帰りの飛行機の中で、配られた日本の新聞の求人欄を見た。
次の求職活動の最初の一歩だった。

短い期間の割に多くの経験をさせてもらって、
最初の会社にはとても感謝している。
恐怖のビール社長(3/4) ~深夜の編集室の巻~
夏の夕方、社長から電話が入った。
「こっちにちょっと来なよ」
こっちとは社長がほぼ常駐している出版社の事である。
だんだん会社業務に慣れて来て、そっちに今から行けば
今日中に帰れない事は容易に察しがついた。
「あっちゃ~」
しかし社長からの指示なので断れる筈もなく移動した。

出版社の最寄りの地下鉄駅から地上に上がると、
大勢の帰宅サラリーマンたちとすれ違った。
その群衆からは、夏の一日が終わってほっとした雰囲気が漂っていた。
呑みに行く人、帰宅の人…、雑踏に揉まれてざわめきの街の中を出版社に向った。
「皆さんワタシはこれから今日半分の仕事の始まりです」と
心の中でつぶやいた。

その出版社は煌々と灯りが点いていて活気があった。
社長としてはこの出入りの出版社にワタシを慣れさせて、
同時に各担当者にもワタシの顔を覚えてもらうという事を狙っているんだろう。

あるスポーツ雑誌の4ページをレイアウトしてみろと指示された。
「こうして、こうして、こうすればいいんだよ」と説明される。
そしてこう続けた。
「明日の朝、印刷屋が取りに来るからサ、ま、ゆっくりやんなよ」
「はー、……」

慣れないヨソの会社で、慣れない机と慣れない道具を使い、
室内には知らない編集員たち。
社長も離れた机で自分の仕事をこなしていた。
まあ見よう見まねで大体の事は分かっているつもりだけど、
やってみるとなかなか簡単ではない。
冷や汗を掻きながら、そして分からない所になると
その都度社長に聞きながら少しずつ進めた。
しかし我ながらスピードが遅い事おびただしい。
もう終電はとっくにあきらめた。

深夜、付けっぱなしのテレビでは
折しも起きた中年男による「日本航空124便ハイジャック事件」で
羽田空港に着陸した日航機の生中継が延々と続いていた。
その膠着と緊迫の様子に眠気は紛らわされた。
テレビを見ていろいろ雑談を交わしながら
深夜の編集室の時間は過ぎた。
やっとなんとか終わったのは夜中の2時頃だったろうか。
社長に見せたら「帰ってもいいし、そこらへんで寝ていってもいい」との事。
当然、椅子を3つ並べて寝た。
他の人たちはまだ仕事が続いていたようだ。

朝7時ころ目が覚めると、社長の姿が見えない。
残っていた編集員が「オタクの社長は帰ったよ」との事。
社長が仕事をしていた机の上には
20ページ位のレイアウトがピシっと完了して整然と置いてあった。
さすがに社長の集中力と力量は半端じゃない。
ダテにこの世界で永年食べていないようだ。

ワタシは出版社を出て途中の喫茶店で朝食を食べて、
本来の会社の始業に間に合うように出社した。
でもなんだか、ちょっと一人前になったような気がした。


(最後の次回につづく)
恐怖のビール社長(2/4) ~朝はまったりの巻~
朝はまず先輩娘のMちゃんが入れてくれるコーヒーから始まった。
Mちゃんはワタシより年齢が3つか4つ位下だが、
社歴が1年か1年半位早いので既に仕事に慣れていた。
ワタシが出来ないような事をスイスイこなしていた。
こちらはデザインの勉強はしていても実務経験がないので、
くやしいが最初の頃はとてもMちゃんにかなわない「どんくさい」ヤツだった。

社内はMちゃんの好みで、FM東京をずっと掛けっぱなしだった。
朝はまったりした「FMファミリー」という番組。
これはとても良かった。
DJは浜島信子という少し年配の人で、落ち着いた語りと選曲で癒され続けた。
 
僕の歌は君の歌(エルトン・ジョン)、太陽を背にうけて(ジョン・デンバー)、アローン・アゲイン(ギルバート・オサリバン)、名前のない馬(アメリカ)、スウィート・キャロライン(ニール・ダイアモンド)、この素晴らしき世界(ルイ・アームストロング)、アイム・ア・ビリーバー(モンキーズ)、ピアノ・マン(ビリー・ジョエル)…などや、
もちろんサイモンとガーファンクル、カーペンターズ、ビートルズの数々の曲などがよく掛かった。
そんな風に午前中はのんびりとした時間が流れた。

さてところが、この会社の難点はその日の仕事が
いつ頃終わるのが全く分からない事だった。
社長がいつもの出版社で今朝までにやったレイアウト仕事の
関連仕事(「見出し」の写植打ちや「柱」、カットなどの作成)を
わが社の営業担当が昼前ころに回収して来る。
それからその仕事が本格的にスタートして、ある程度目鼻をつけてから
昼ご飯を食べるに行くのでそれが午後3時~4時ころになる。

その他にはいくつかの出版社や団体からの仕事が定期や不定期に入った。
定期刊行物(タブロイド版サイズ)や教科書・参考書の図版などの版下作成、
ページ物の写植打ちなど。

午後5時に普通の会社だと終業の会社が多いだろうが、
この会社は「さて、一日の半分が終わったな」という感覚だった。 
終電で帰る事も多かったし、終電に間に合わないという事態もポツポツ有り得た。

社長はいわゆるアウェーの会社でいつも仕事をしているので
いくら慣れていると言ってもストレスが溜まるんだろう。
仕事が無い時はこちらの事情や都合も考慮せず呑みに誘って来る。
仕事でなら「仕方ない」という気持ちの収め方があるのだが、
仕事でない状況で、夜中の2時頃までヒタスラだらだらと
社長のビール呑みに付き合わされるのは辛い。

例によって社長はなにも食べない。
社長が食べないのに社員が食べ物を注文しにくいものだ。
それでもたまに思い余って「社長、ナポリタン食べていいでしょうか」と決然と言うと、
「欠食児童だなぁ、いいから食べなよ」と言う。
お勘定は社長持ちなのでどうしても遠慮勝ちになるのだった。
まぁ、そんなダラダラ話の中にも、
人生の先達としての「へぇ~」という経験話も散りばめられているので、
完全に時間のムダとも言い切れず苦渋の体験だった。

深夜2時3時にタクシーを拾って帰宅しても、
翌朝9時にはまた会社に入る事を考えたら、
<寝る時間、体力、お金>すべての点で
無理して帰宅せず、会社に戻って会社で寝る方がベターだ。
会社には布団が1セットあったので、たまに利用した。

社会に出て間がなく、
それまであまり酒を呑む機会が無かったから当然酒に慣れていないので、
悪酔いして深夜の路上で吐いた事も何回かある。
そんな時「なにやってんだかなぁ」の寂寞感が漂った。



(また次につづく)
恐怖のビール社長(1/4) ~最初の日の巻~
<そんな事もあったっけという思い出話>


あれはだいぶ昔の事…、そう、1973(昭和48)年の晩秋。
ワタシは20代前半で、生まれて初めてピカピカの社会人1年生になった時だ。
今から数えると結局5つの会社に勤めたことになるが、
その最初の会社が<有限会社G社>だ。
小さなデザイン会社だった。
主な仕事内容はと言うと基本的には<版下屋さん>だ。
今はDTPで簡単に出来るので今の若い人には想像も付かないだろう。

とにかくその会社に入社が決まった時の事だ。

チーフ格(この会社のナンバー2)であるSさんとの面接に一応受かって、
入社の前日、最終的に初めて社長に会う事になった。
夕方6時に来社乞うという事で行ったのだった。

地下鉄千代田線千駄木駅で降りて地上に上がる。
団子坂を上り左手に鴎外記念図書館の前を過ぎ、さらに歩くと文京区向丘だ。
あたりは暗く寒さも募って来た。
そこの小さなビルの2階だか3階だかだった。
もう40年近くも前の事で記憶もあやふやだ。
周辺はお寺が多くなかなか静かな環境だった。

ワタシは初めて社長である人物に会うのだし、
初対面の人たちも何人かいる中に入ってコチコチに緊張していた。

とりあえず隅の方のイスに座らされて待っていた。
パーティションの向う側でその社長らしき人の声が聞こえる。
社員の人たちにいろいろ指示をしている。
後で知った事だが、社長は普段、会社には出社せず、
仕事を発注してくれる出版社の方にほぼ常駐していた。
したがってたまにしか会社に来ないので
指示する事、話す事がいろいろあったのだろう。
しかし、そんな状態のまま20分、30分過ぎた。
いくらなんでもちょっと待たせ過ぎじゃないかな、と一応は思ったが、
ま、相手は入社する会社の社長なので仕方ない。
やっと誰かが「入社の人が待ってますよ」と催促してくれた。

社長なる人物がパーティションのこちら側に来て、
「じゃ、ちょっと出ようか」と言って
社長とチーフのSさんとワタシの3人で歩いて近くの喫茶店に連れて行かれた。
社長がビールを注文した。
なじみの店のようで瓶ビールとグラスが3つ並んだ。
「入社の心得」とか「業界の話」とかが話されるのかと思ったが、
そうでもなく、ダラダラと仕事とも雑談ともつかない話が続き
時間ばかりが過ぎた。
ビールのツキダシとして各人それぞれにピーナツが5~6粒、
紙の小さな小皿に載っている。
食べるものはそれだけ。
あとはひたすらビール。
空腹だが様子が分からないのでガマンするしかない。
夜8時、9時、10時、11時。
だんだん終電の時間が気になった。
社長がトイレに行ったスキにSさんに聞いた。
「あのー、終電が近づいているんですけど…、そろそろ終わりですよねぇ」
「うん、そーねぇ。…これで終わりだと思う?」
「……」
「いや~、なかなかなんだ、これが」という返事だった。
トイレから出て来た社長が、
話の続きをまた始めて結局終電なんかあっけなく過ぎてしまった。
深夜1時ころになってSさんが
「社長そろそろ明日の事もあるんで、それにX君(ワタシの事)も初日ですから」
と言ってくれる。
「…ったく、しょーがねぇな、ブツブツブツブツ。じゃ、X君は帰れ、S君はもう少し話がある」
と言って、とにかくワタシは解放された。やれやれ。
ワタシはふたりを置いて店を出た。
当然電車がないのでタクシーで帰ったが、
「ふ~、結局何だったんだ? 今日の対面は」
…よく分からない。
教訓<世の中には良くわからない事があるもんだ>

家では「社長との面談」に行ったまま
夜中になっても帰って来ないので、親がとても心配していた。
ケイタイ電話など影も形も無かった時代なので、連絡も出来なかった。

翌日、9時の始業時間に間に合うように出社した。
Sさんが出社したのは10時過ぎだった。
社長はそもそもこちらの事務所に出る予定ではないから来ない。
どうも「いつもの事」らしいという事が分かった。
Sさんに昨夜のその後の事を聞いたら、おひらきになったのは2時頃だったらしい。

その後いろいろ知ることになった。
社長はどうやらビールだけで生きているようだ!
それからも社長が食事をしている所を見た事がなかった。
ビールを呑んでいる所しか記憶にない。
謎のビール人間だったのだ。

その初対面を含めてそれからの日々は、
ワタシにとっては、なにもかもが新鮮な社会人体験で、
不思議にあまりツライと言う感じは無かった。
仕事を覚えるのが精一杯だったし、現実の仕事はそれなりにおもしろかったのだ。



(次につづく)
くしゃみ事件
<会社員時代の話>


15年くらい前の汗ばむような初夏だった。
気持良く晴れている。
場所は第一勧業銀行(今のみずほ銀行)銀座通支店の横の横断歩道。
その支店に口座の件で用があり、ワタシは銀座の中央通り東側歩道を
新橋方面から京橋方面に向って歩き、
その横断歩道で赤信号になって立ち止まった。

回りの人たちも歩行者信号にしたがってみんな止まった。
横断歩道の向う側で信号が青になるのを待っている人たちも、
この時間だと、観光客ではなく近所の会社員がほとんどだ。
ワタシは何を考えるという事もなくぼんやりしていた。

こちら側にいる人の中で2~3人離れた所にいた
おじさんが突然大きなくしゃみをした。
ワタシは別に驚きはせず、ぼんやりとその音を聞いた。
それと同時に黒っぽいものが前の方に飛んだのが目の端に映ったが、
「ハンカチ」でも落としたかな位にぼんやり考えた。
その人の方を特に見ることもなかった。

車道の2mくらい先に落ちたので、クルマの流れもあり
すぐには拾いに行けないようで青になるのを待っているようだ。
横断歩道の向う側にいるOLふたり連れがなんか不思議な反応をしている。
笑いを必死に押さえているようだ。
しかし、なかなか押さえられず顔を歪めて肘をつつき合っている。
「?」

長い信号がやっと青になった。
そのおじさんが肩を怒らせて大股で走り寄り、
「黒っぽいハンカチ」を拾い上げ、頭に乗せて人ごみに紛れた。
「?」

そこまで場面が進行してやっと鈍いワタシは気がついた。
「あ、あれはカツラだったんか」
横断歩道上で顔がまだ戻らないOLたちとすれ違った。
カメラ事件
40年くらい前の古い古い話。

2番目(結局5社に在籍した事になる)の会社(制作デザイン及び広告代理業)のT社時代の事。
ある時、スポーツ新聞に掲載するための
「スキー用品大バーゲンセール」の広告を作った。
クライアントはあるスポーツ用品量販店(今はもう存在しない)。
当時スキーは、映画「私をスキーに連れてって」公開の15年くらい前、
スキー人気が徐々に上昇している時期だった。

セール開始時に新聞<全1ページ>サイズを、
その後期間途中のテコ入れに<全5段>サイズを載せる。
既に<全1ページ>サイズの掲載は済んで、
<全5段>サイズの制作中だった。
クライアントから売れ筋と売りたい在庫商品をいろいろ考えて、
目玉商品としての格安スキーセット(板、ビンディング、ストック、スキー靴など)や有名メーカーセットなどの、5~6種類の写真を載せて欲しいとの事だった。

社会に出た当初、ワタシはデザイナーとしてその制作会社にいた。
小さな会社なので専門のカメラマンなどいる筈もなく、
社外に気安いカメラマンのコネクションも無かった。
予算も限られているし、
手早くに作りたいのでワタシが自分で撮る事にした。

撮影の前日、なぜか同僚(男)の家に泊った。
はっきりとは覚えていないが、
確か翌日の撮影にその同僚のカメラを使う事になっていた。
今思うにその時ワタシはカメラを持っていなかったのか?
不思議だ。
高校生の時にペンタックスの1眼レフを買ってから、
それから何代も1眼レフを使い継いで来たと記憶するが、
持たない一時期があったのかどうか、
今となっては思い出せない。
(その時自分のカメラが故障していたのかも)

とにかくお互いに20代前半で、
その晩は大いに酒を呑み、話をして盛り上がった。
次の朝起きて二人で会社に向った。
会社の最寄り駅の近くまで来て重大な失態に気がついた。
なんとカメラを持って来るのを忘れていた。

オイオイ、撮影の当日にカメラ忘れてどうすんの。
(ふにゃふにゃふにゃ…)
今からカメラを取りに引き返したら完全に間に合わない。
どうする、どうする。
脳みそをフル回転させて考えた。

ある案が浮かんだ。
会社の近くにカメラ屋がある。
仕事でよくDPEを頼む店だ。
あそこでカメラを貸してくれるんじゃないのか。
ヨシ、それしきゃない。
カメラ屋のオヤジに事情を話したら「いいですよ」との事だった。
ただし貸せるのは1眼レフではなくレンジファインダーカメラしかないとの事。
露出計内蔵なので、まぁ大丈夫。

会社の備品の三脚と照明用ライトを入れた紙袋の中に、
その借りたカメラを入れて会場に向った。
当時後楽園球場の横にイベント用のレンタルスペースがあり、
そこでその量販店主催の「スキー用品大バーゲンセール」が行なわれていた(期間は1ヵ月半くらいだったか)。
そこに各商品があるのでそこで撮影をするのである。
セールで混雑している中で担当者に挨拶し、商品を揃えてもらい、
控室の片隅でライトと三脚を整えて撮影を開始。

カメラは三脚に固定しているので絞り優先、
ギツギツに絞って描写を最優先で撮った。
念のためアンダー目とオーバー目もおさえた。
さっそくカメラ屋に戻ってカメラを返し、DPEを依頼。
同じカットで露出を変えて3枚ずつ撮ってあるから、
各カットのベストカットだけの紙焼きを頼む。

出来上がりを受取りに行ったら、
カメラ屋のオヤジが
「あのカメラでこれだけ撮れたらなかなかですよ」と持ち上げてくれた。

当時まだカラー広告は全く一般的ではなかったので、当然白黒原稿。
平行して作っていた版下に
その写真をキリヌキ指定して、製版屋に持ち込む。
今ではWeb入稿だろうが、当時はまだ凸版での入稿だった。
(その後「紙焼き入稿」時代になった)

なにしろ小さい会社だったので新聞社への送稿も手の空いている人がやった。
新聞の「全1ページ」サイズの凸版などというものはちょっとゴッツイ。
厚さ2ミリくらいで、大きさは新聞1ページ大だ。
材質は金属(亜鉛だったか)だけれども、
これだけ大きいと当然少し撓(しな)る。
折れ曲がったり、角がつぶれてしまったら使えなくなる。
それはそれは神経を使っていつも新聞社に持ち込むのだ。

サイズの大小にかかわらず原稿運びは神経をすり減らす。
入稿日はたいてい締め切り時間が迫っていると相場は決まっている。
電車で行くか、タクシーを使うか、渋滞はどんな具合か、
いろいろ考えると胃が痛む要因でいっぱいだ。

無事に届けた時は心底ホッとする。
帰り道はスキップしたいほど足取りが軽い。
それなりの達成感。
そんな毎日だったっけ。
大手銀行本社ビルにて
<会社員時代話>


20年くらい前の話。
ある大手銀行本社ビルに入っている、その大手銀行の傍系会社である人材派遣会社に飛び込み営業をした。
ビルは30数階建てくらいの高層ビルだった。
その子会社は最上階か、そのすぐ下くらいの高層階に入居していた。

受付けた女の子の後に出て来たおじさんが見事に高圧的だった。
うしろに大銀行の看板を背負っていて高飛車なもの言いをされた。

「アポ無しで来たの、アンタ。
何考えてんの、ジョーシキが無いね。何て会社? ふーん。
ダメだよ、話聞く気無いから帰って(もう来るんじゃないよ)!」
ワタシは、この高飛車な応対のなかにこの人の微妙な屈折を感じた。
この人はたぶんこの大手銀行の行員だったんだろう。
定年後か、あるいはまだ定年前か微妙に分からないが、
何かの事情を経て今はこの傍系会社にいるんだ。
傍系会社に在籍しているのは元行員としては、
あまり誇り高い境遇ではないのだろうと推察できる。
「大手銀行というプライド」と「傍系会社という鬱屈」
が垣間見えて、その横柄な言い草がおもしろかった。

ま、当方は拒絶されれば素直に引き下がるしか
選択肢がないので踵を返した。
そして下りのエレベータに乗った。
30何階からの降下なので新たに何人か乗って来たり、
途中で何人か降りたりを繰り返した。
ちょうど昼休みに掛かる時間にぶつかっていたので、
女子行員がわぁ~とたくさん乗って来て一杯になった。
そして10何階かでその女子行員たちが全員降りた。
ちらっと見えたその階は社員食堂のようだった。
とたんにエレベータの箱が空っぽになった。
やれやれ静かになった。
ふと見ると階数ボタンの1階とB3が点灯している。
1階はワタシが押したんだから点灯しているのは当然だが
B3は誰が押したんだろう?
あの女子行員の誰かがイタズラしたに違いない。
(あるいは間違って押してしまったのかも知れないが)

ワタシは(自分で言うのは僭越だが)温厚で通っている人間だが、
この時はちょっと魔が差したのかも知れない。
ついさっきの高飛車にあしらわれてこちらも鬱屈したものがあったのだろうが、
誰もいないエレベータの中でつい独り言が出た。
ちょっと大きな声で「誰がB3押したんだよう、ったく」
そしたら後ろから小さい声で
「すいません、ワタシです」
わぁああああああ~。

こちらは吹けば飛ぶよな只の飛び込み営業マンに過ぎない。
ビルオーナーの銀行員を謝らせて良い筈がない。
「ゴメンナサイ。失礼しました。(誰もいないと思ったもんですから)つい独り言を言ってしまいました」とヒタスラ謝った。
ひょいとその人を見ると、
今で言えば「カラテカの矢部太郎」タイプのひ弱な感じの男性で、
ワイシャツを腕まくりしてメガネを掛けて、重い書類の束を抱えていた。
黴び臭い区役所の奥に居そうな、目立たないモテそうもないタイプの人だった。
(オイオイ、そこまで言うか。自分はどうなのよ。…スマン)
たぶん地下の書類庫かなにかに行くところだったんだろう。

それから1階に着くまでの時間の長かった事。
冷汗三斗。
やっと1階に着いたら、「スイマセン」ともう一度声を掛けて
尻に帆掛けてワタシは消えたのだった。
秋葉原駅総武線下りホームにて
<会社員時代話>


ある日、ワタシは秋葉原駅の総武線下りホームにいた。
営業活動で、ある会社に向う途中だった。
電車を待つ数分の間、列の一番前に並んで文庫本を読んでいた。
フト、すぐ後ろに並んだおじさんが小声でなにかぶつぶつ独り言を言っているのに気がついた。
何気なしに何を言っているのか聞き耳を立てた。
「…オレが人を殺した事があるなんて…誰も知らないだろうな。…刑務所を出て来たばかりの者だとは…分からんだろうな…」
え? びっくりした。
回りの人たちには聞こえていないようだった。
どうやらワタシだけにしか聞こえていないようだった。

ほんの少しだけ首を動かしてその人の様子を窺った。
うつむき加減にボソボソ言っている。
よれた帽子をかぶり、作業服風の格好をした年齢50~60という感じだ。
小さいバッグのような物を持っている。
何者? どうしたらいい?

もしかしたら精神を病んでいる人の可能性もある。
だとすると常識から外れた突飛な行動をする可能性もある。
例えば電車が入線した時にワタシを後ろから突き飛ばすとか。
オイオイそれはカンベンしてくれ。

少しずつ身体を動かして、幸いすぐ横にあったホームの鉄柱に肩をくっつけて万が一に備えた。
もしかしたら刑務所から出て来てから、就職面接を何回もしたが全然だめでヤケになってしまっているのかも知れない。
小さなバッグには少しシワになった履歴書が入っていそうだ。
とにかく数分過ぎて電車が来た。
ワタシは柱に固くくっ付き、脚を踏ん張って身構えた。
…何事も起きずドアが開き、乗客の一団は乗り込んだ。

そのおじさんは座席に座った。
ワタシは次の両国駅で降りるので立ったままそれとなく様子を見ていた。
おじさんの表情は暗いように見える。
独り言は止まっているようだ。
あっという間に両国に着き、ワタシは降りた。
そして、走り去る電車に鬱屈した表情で座るおじさんの姿を見送った。
……。

中途半端ながらこの話はここで終わる。
その後の事は全く分からない。
どうなったのか、どうにもならなかったのか全く分からない。
辛くせつない気分だけが残った。
レム睡眠
2005年に家庭の事情で早期退職してからしばらく経ったが、
いまだに1年に1~2回、
D社で営業の仕事をしていた頃の夢を見る事がある。
会社は新聞の求人広告を主に扱っている広告代理業だった。

いつも夢の状況設定が同じ。
<もう月半ばなのにワタシの当月の売上がゼロ>だ。
時間は大体夜の7時ころの設定だ。
なにか大きな仕事が水面下で進行中ならば、まだ一発逆転という隠しダマになるが、そんな話も全くない。
すぐに売上になりそうな、普通に進行中の事案も全くない。
これでは今月の売上はゼロで終わる可能性がある。
冗談じゃない、新入社員じゃあるまいし、そんな事は絶対に許されない。
背筋を冷や汗が伝わる。シャレにならないゾ。
回りにいる他の営業マンはそれなりに売上を上げて忙しそうにしている。
そこでとにかくお得意さんに片っ端から電話を掛けるが、売上に繋がりそうな話が全く出て来ない。
時間が無情に過ぎて行く。
だんだん夜が遅くなり、相手担当者が帰宅して掴まらなくなる。
もう明日にするしかない。
他の営業マンも遠慮してワタシに近寄らないようにしている。
呑みに行こうかと思うもさすがに同僚のたまり場は避けよう。

そんな事を考えているうちに目が覚める。
「あぁ~、夢か」
タメイキがもれた。
寝てて疲れていりゃ世話がない。

給料をもらうのはストレスと引き換えでもある。
生活する事はストレスと道連れだ。
お金を稼ぐのは簡単なこっちゃないっス。
「駅名」と「区名」
<会社員時代話>

営業マン時代(まだGPSなどが無かった)に、公共交通機関と徒歩で「住所」と「小さな地図帳」を頼りに目的地に辿り着くという事を繰り返した。
そんな中で「え?」とか「へぇ~」という事例に遭遇した。

* * *

品川駅があるのは品川区ではなく港区。
目黒駅があるのは目黒区ではなく品川区。

* * *

「千代田区鍛冶町(かじちょう)1丁目、2丁目」とあって3丁目は「鍛冶町」とは言わずに「神田鍛冶町」となる。「千代田区神田鍛冶町(かんだかじちょう)3丁目」。したがって千代田区「神田鍛冶町」という表記の住所には「1丁目、2丁目」がなく、いきなり「3丁目」しかない。
1974年の新住居表示<実施済み>の地域は「神田」の冠称を廃したようだ。
「1丁目、2丁目」は実施済みで「3丁目」は未実施という事。

* * *

「千代田区岩本町(いわもとちょう)」と「千代田区神田岩本町(かんだいわもとちょう)」。
昭和通りを挟んで東が「岩本町」、西が「神田岩本町」。
やはり「神田」の冠称がついている方が新住居表示未実施。

* * *

「千代田区神田神保町(かんだじんぼうちょう)」の番地の付け方が他の町と違う。
普通は一つの町内を時計回りに順番に番地を割り振っている。
ところが神田神保町は、
大きな道路(靖国通り)を挟んで奇数番地と偶数番地に分けている。
それを知らないで、普通の番地のつもりで探そうとすると、目的の番地を探す時に大変苦労する。
「おかしいな、この番地の次だから絶対ここらへんの筈なんだけどなぁ???」
そこに早く気付かないと苦労するどころか、初めての訪問先だと約束の時間に遅れる事必至。

* * *

「千代田区神田和泉町(かんだいずみちょう)」も番地を頼りに探すと難しい。
そこそこ広いのに「丁目」の分割がなく、番地だけなので系統的でなく見つけにくい。

* * *

たまに東京以外の周辺にも行く事があった。
横浜は街角に住居表示板が無く(有っても極めて少ない)、住所を頼りに行くには非常に探しにくい。

埼玉や千葉の都市周辺部は絶望的に難しい。3ケタや4ケタの番地が雑然と田園地帯にポツンポツンと散らばっているのだ。人に聞こうと思っても人が歩いていない。たまにクルマが通るだけ。また帰りのバスが1時間や2時間に1本とかのおまけ付き。しかもカンカン照りの真夏や木枯らしビュービューだった日にゃ…。
知らない女性
<会社員時代話>

飛び込み営業で、ある会社に飛び込んだ。
社内はすぐには見渡せないような構造になっている。
受付カウンターもないので、物陰から少し大きい声で
「失礼しま~す。◯◯会社と申します。人事・総務関係の方、お願いしたいんですが…」
たまたま近くでそれを聞いた若いべっぴんが物陰から出て来た。
「わー、◯◯さん(ワタシの名前)じゃないですか~」

ん?? あれ、この女性知らない。
誰?
数秒固まってしまった。
必死に頭の中で有りったけの顔照合をしたんだけど分からない。
「あの~、どなた……でしたっけ?」
「◯◯よ、分からないんですか」
名前を言われてやっと分かった。
「あ~~」

以前わが社で働いていた「制作課」のDTPデザイナーだった。
たぶん2年くらいは一緒に働いていただろう。
あ~、こんな顔してたんだっけ。
これじゃ、道ですれ違っても全然わかんないや。

営業マンと制作スタッフとの仕事のやりとりは
ディスプレー画面に向って仕事をしているデザイナーに、
<後ろから肩越しにいろいろ制作の指示をする>
というようなスタイルが多かったので
あまり顔をシゲシゲと見た事がなかったのだ。
たまには大勢で呑みに行った事もあったが、
どうせ若い女(こ)はおじさんには関係ないので
意識の外だった。

まぁ元気で働いているようで良かった。
おじさんはさみしく笑うのだった。
ビルから出た途端
<会社員時代>

飛び込み営業が終わってビルから道路に出たとたん、
知っている中年の人が向うから来た。
咄嗟の事で<誰だったか?>思い出せない。
でも間違いなく見た事がある人だ。

毎日営業でいろいろな人と会っているので
うろ覚えの人もいるし、その会社で会えば誰だかすぐに分かっても
いつもと違う場所で出くわすとなかなか思い出せない。

しかも出会い頭なものでじっくり考える時間がない。
営業マンの習性でとにかくまず挨拶する。
「あ、どーも」と笑顔で会釈して
急いでいる風を装って<さささっ>とスレ違った。
立ち止まって話をする事になったら、
「誰だか分かってないな」とバレてしまう。

先方も会釈してくれて、スレ違い、事なきを得た。

その後、誰だったのか必死に考えたが思い出せない。
思い出したら名刺を探して電話してフォローして…、
場合によっては仕事に繋がるかも知れない。
脳みそをフルパワーにしても思い出せそうで思い出せない。
スッキリせず気持ちが悪いものだ。
悶々と数日を過ごした。

結局4~5日してやっと「あっ!」
大笑い。苦笑い。
いつも見ているNHKテレビ<生活笑百科>の
弁護士の先生だった。
見慣れた顔だったので、てっきり営業アタック先の
担当者だと錯覚した。

先方も“反射的”に会釈してくれたのだろう。
あるいはテレビに出ていると知らない人から、
しょっちゅう挨拶されて慣れているのかも知れない。
ランチ風雲録(10) コーヒー 
(直接、ランチの話とは違うが、大きく言えばランチ関連ではあるので…)

まだスターバックスが日本に出店して間がない頃の事だ。
早く入ってみたいと思いながらしばらく機会がなかった。

たまたま13:10アポの会社があった。
目的の会社の近くまで行くと途中にスターバックスがあった。
逆算すると歩き時間を含めてあと7~8分余裕がある。
かねてから一度入ってみたかったので
ギリギリだなとは思ったが入店した。

コーヒーの種類が多い。
なんちゃらかんちゃらと表示が並んでいる。
素早く見て「本日のコーヒー」を注文。
「サイズは?」と聞かれる。
初めてのスタバなのでよく分からず
とにかくとりあえず「普通の」と応える。

現物を渡されてギョッとなった。
デカイ!
よ~く考えたら「そうか、普通って言ったから
ミディアムサイズをくれたんだ。
そもそもアメリカ人の胃袋が基準だから
ミディアムだってでかいのなんの…。
一番小さいショートで良かったんだな」

見れば見るほどたっぷり熱いコーヒーが入っている。
だけど時間がそれほどは無いんです。
アポの時間は迫るし、コーヒーはなかなか減らない。
弱ったね、どーも。
今なら呑み残しはあそこに捨てればいいんだって知ったけど、
当時はそれも知らなかった。
特には猫舌ではないけれど、これだけの量の熱いコーヒーを
呑み切るのはなかなか罰ゲーム的だった。
味もローストが強くて焦げ臭く感じる。
ワタシの好みとはちょっと違う。
(別に店はなにも悪くありませんよ)
とにかく必死の思いで飲み干した。

結局アポには間に合ったけど、
憩いのコーヒータイムが、自分のせいで地獄になったっけ。
ランチ風雲録(9) 寿司好き 
寿司は好きである。
ただし普通の会社員だったので高級寿司店には縁がない。
(一度だけ有名店に入ったが、金額の予想が甘くて危ないとこだった事がある)
テレビや雑誌などで高級店のおいしそうな寿司を見ると、
もちろん「う~ん、食べたいものだ」とは思うけれど
すぐにあきらめるクセが付いている。

肩が凝らずに気楽に寿司を楽しめるという事では<回転寿司>はありがたい。
あのシステムでどんなに“寿司好き”が救われたか計り知れない。
その後どんどん進歩して回転寿司はとんでもなく隆盛のようだ。

もうひとつ、普通の寿司屋さんでも<にぎり1.5人前>という
システムを最初に考えたのはどこか知らないけれど、
隠れたヒットではありませんか。
夜に酒を呑みながら寿司をつまむという時は
そんな無粋なものは不要でしょうが、
男がランチとして寿司を食べたいという時には
ぴったりなんです。
1人前では物足りませんからね。
店員さんが「点五いっちょう」などと略して言ってますね。

もちろんワタシも<1.5>の大ファンです。
満足度が高いです。

寿司の食べ方のウンチクを言い出すと
人それぞれに流儀があるだろう。
ワタシなりの食べ方は…、
いや止めておこう、それはまた別の機会があれば。

さて<1.5>を注文して食べる。
職人は見ていないようでもさりげなく見ている。
<このお客さんはどんな食べ方をするか>

ワタシは食べ始め、途中、終盤とそのどの時点を取っても、
絵画のように色のバランスが取れているようにしている。
飯台の上は一種のカンバスだ。
特に色が偏るのは嫌だ。
邪道と言われようが味より色を優先する。
たとえば最後の三カンが
「イカ」「貝柱」「白身」だなんて
寒々しくて耐えられない。

食べ残しはもちろん無し。
ご飯粒ひとつ残さない。
ガリと小皿の醤油はほんの少しだけ残す。
小皿の醤油をたっぷり残す人がいるが許せない。
また舐めたようにキレイ過ぎる小皿もどうかと思う。

ん? ワッチャ~、個人的能書き書いちゃってる。
(各人の流儀があるから書かないと言ったばかりなのに)
これも寿司の魔力かな。

さて食べ終わった。
ワタシは注文以外ひと言もしゃべらなかったが、
食べ終わって店を出る時、職人の気配を感じる。
<あのお客はなかなか出来るな>

いや、実はこう思っているかも知んない。
<面倒くせぇ客だ>

レジをする小僧さんに
「とてもおいしかったですよ」と言って仕上げる。
小僧さんから職人に伝わると職人は…、
直接言われるより間接に伝わった方が
うれしい筈なんだけどなぁ。

結局「めんどくせぇ客だ」
ランチ風雲録(8) コダワリ
都内某所。

以前からそのラーメン屋の前を何回も通った事がある。
いつも行列が出来ているのを横目で見ていた。
「定休日とスープの出来が悪い日は休みます」と貼紙がしてある。
いわゆるコダワリの店のようだ。

ワタシは行列してまでラーメンを食べるのは、
イヤなのでその店に入った事がなかった。
ただしそんなに行列しているという事は、
相当おいしいんだろうなとは思っていた。
だから行列が無いか、あるいは少ない時に、
タイミングが合えば入ってみようとも思っていた。

ある日、通り掛ったら行列が極めて少なかった。
「ヨシッ、今日は仕事の時間にも余裕があるからチャンスだ」

店内に入ってもまだ行列は店内で継続する。
食べている人たちの後ろで壁に沿って待つ。
誰かが食べ終わって席を立つと次の人が座れる。
ワタシも店内の行列で、立って待った。
店内順位は5番目だった。

待っている間に様子を探る。
席はカウンターのみ。
回りを見回すといろいろコダワリが書いてある。
汁はさっぱり系かこってり系を選ぶ。
麺は太麺か細麺を選ぶ。
追加トッピングの具は煮卵、チャーシュー、もやし、バターなどを選ぶ。
なんだか面倒なシステムのようだ。
頭の中で注文を予習する。
カウンターの中はオヤジとおばさんのふたり。
オヤジは定年を前に脱サラして、
コダワリ店で数年修行して独立を許されたという感じ。
おばさんはオヤジの奥さんかも知れない。
オヤジはお約束のように頭にバンダナを巻いている。

そうこうしている内に、
5人がバタバタとほぼ一斉に食べ終わったので
待っていた5人が一斉にカウンターに座った。
当然ワタシもその中のひとりだ。
オヤジが前の人たちのドンブリを片付けながら
順番に注文を聞く。

だけど一度に5人で、
しかもひとり一人が「さっぱり」で「細麺」で「煮卵とチャーシュー」とか
「こってり」で「太麺」で「バター」とか
覚えられる訳無いので注文を躊躇していると、
オヤジは『なめんなよ、オレを誰だと思ってやがんだ?』
という雰囲気をガンガン漂わしている。
そうか、じゃ遠慮なく行くよとばかり5人全員が注文した。
オヤジが作り始めた。
「ダイジョブかいな」と懸念しつつ見ていると
案の定、オヤジが表情を崩さないまま、
「注文なんだったけ?」ともう一度聞き始めた。
5人揃って『オヤジぃ』と心の中で突っ込みを入れた。
“見ず知らずの5人”の連帯感よ!

『こりゃ出来上がるまでケッコウ時間掛かるぞ』と察知して、
ワタシはカバンから文庫本を出して読み始めた。

やっと出来上がってそれぞれの前に注文のラーメンが置かれた。
ワタシの前にラーメンを置く時、
オヤジがワタシの本に気付いて「本を読まないで」と注意した。
え? 何?

待っている間だから時間つぶしに読んでいただけではないか。
それも時間が掛かりそうな気配で、案の定掛かったではないか。
食べながら読んだら確かに気を悪くするかも知れんが、そうではないぞ。
待っている人もいるから、素早く食べるなんてのは心得ているわい。

つまりこうですか、
出来上がるのを畏まって待ち、
調理過程を凝視して、
出来上がったら“ありがたく食べさせて戴く”のが
コダワリ店と客のあるべき関係なんですか?

ムッとした。
<時と場合>だろう。
高級レストランなどでは反則でも、
ここは町場(マチバ)のラーメン屋ではないか。
あんたにとっては命を懸けているのかも知れんが、
客にとってはただの食事だ。
気楽に食べさせろ。

行列の出来るいわゆる有名ラーメン店というものに、
ワタシはほとんど知識がないので分からないんだけど、
「何だかなぁ~」の阿藤カイのセリフが感想だ。
ランチ風雲録(7) カウンター
都内某所。

13:30頃だったのでその定食屋に入った時、客はいなかった。
昼のピークが済んで一段落の時なんだろう。
カウンターとテーブルがあったが、
ひとり客といういつものクセでカウンターに座った。

注文をして、店に置いてあったスポーツ新聞を見ていると
なんだか様子が変だ。
カウンターの中にいる店主らしきオヤジが、
ホール係の女の子に小言を言っているのだ。
女の子と言っても20代後半か30過ぎかもしれない。
客が減ったし、次のワタシの定食はまだ出来ないので
彼女はテーブルを拭いたりイスを片付けたり、
割り箸や卓上醤油を足したり
それなりに立ち働いている。

その小言が常識の範囲ならいいのだが
ズ~っと続いて止まらない。
ワタシが店に入った時に既に始まっていたから
たぶんいつもの事なのだろう。
カウンター越しの小言オヤジのガミガミが
とにかくうるさい。

ワタシはそんな状態なんて夢にも思わないから、
オヤジの真ん前のカウンターに座ってしまっている。
オヤジと女の店員の“線上ぴったり”にワタシがいる。
間が悪いったら無い。

女子店員はというとこれが無反応。
全然コタえていない。
馬耳東風。
自分の仕事だけはしっかりやっている。
普通だったらこんなに小言を言われ続けたら辞めちゃうだろうに…。
ん? という事はこのオヤジの娘なのかも知れない。
もう慣れっこになってしまっているのか。

しかしお客にとっては迷惑な話だ。
ワタシの頭の上で小言がネチネチ、
いつ果てるとも無く続いているのだ。
楽しかるべき食事の時間が台無しだ。

そんな時にまたサラリーマン風の客が新たに入って来て、
これまたカウンターに座った。
そいつも段々、この店の現在の状況を呑み込めて来て、
いやな顔をしている。
憂鬱な状況をひとりで背負っていたワタシは、
いやな気分が少し薄まった。

とにかく二度とこの店には来ないと固く心に誓った。
ランチ風雲録(6) 不思議
一年の内、ちょうど良い気候というのは少なくて…、
外回りしているとそんな事に敏感になるものである。
暑くも寒くもない、風も微風で心地よい、
そんな日は何がなしウキウキして来る。
しかも売上成績が調子イイなどという時は、なおさらである。
歩きながら鼻歌なども出て来ようというものである。

目黒だったかな。
ホントはいつものように、混雑を避けて少し早めに
昼食にしようと思っていたのだが、
仕事の行きがかり上で12時半ころになってしまった。
そして午後のアポの関係もあるので、
昼食にそんなに時間が掛けられない。

店を物色して歩くと、お約束のようにどこもかしこも混んでいた。
うしろの時間が決まっているので余裕がない。
どこか空いている店は無いかいな。

ん? ガラ空きのランチ屋があった。
道からガラス越しに店内が見える。
「どうして?」と怪しんだが、
すぐ食べられそうな店はここしかないのでやむを得ず入った。

当然なにかワケアリと身構えた。

そして食べた。
ところが…、
拍子抜けな事に
全くの話、
別段まずくもなく、サービスが悪いわけでも無かった。

首を傾げながら店を出た。
結局、あの店は何だったのか謎のままだ。
ランチ風雲録(5) 盆休み
毎年8月の旧お盆の休み中は東京が閑散とするのだった。
それはもう唖然とするほど人がいなくなる。
道路も通勤電車もガラガラ。

一斉に休業する会社と交替で休ませる会社があって、
営業している会社でも出勤する社員はガクンと減っている。
当然、サラリーマン目当ての飲食店や居酒屋なども休む店が多い。

昼時になっても、表通りから裏通りまで軒並み飲食店が休み。
営業している飲食店を見つけるのはかなり難しい。
どこもかしこも<◯月◯日~◯日まで盆休み中>の貼紙がしてある。
街を流す営業マンにとって魔日というわけだ。

都内某所。
散々歩いてやっとランチをやっている小さなウナギ屋を見つけた。
外に出ている看板には安いのから高いのまで
4~5種類のメニューが書いてあった。
(6~700円くらいのものから3,500円くらいまで)

入店するとテーブルに常連っぽい3人連れがひと組だけ。
ワタシはひとりなのでカウンターに座り、
一番安いランクのうな丼を頼んだ。

出て来たうな丼を見て腰砕け状態になった。
切手ほどの大きさのウナギが2つご飯に乗っていた。
料金から考えりゃ仕方ないか。
それにしても、仕方なさすぎるなぁ。

ワタシの後から入店して来た人がいた。
<観光で東京に出て来て、昼になったが
飲食店が軒並み閉っていて途方に暮れる。
やっとここが開いていたので「やれうれしや」とたどり着いた
初老のおじさん一人>という感じの人だった。
東京のうなぎ屋に入るのは初めてで
オズオズ感、オドオド感を漂わしていた。

店主は先ほどから鰻を焼きながら常連らしき人たちと、
祭りの自慢話を繰り広げていて盛り上がっていた。
たぶん肩には神輿の担ぎダコがあるんだろう。
どうもこの店主は自分が<江戸っ子>だという事を
吹聴するのが生き甲斐のようだった。
こういう手合い、たまにいるんだよねぇ。

店主がその初老おじさんに、
わざとブッキラボウな物言いで注文を促した。
「なんにすんの?」
<江戸っ子店主>の言い草に呑まれてしまって、
初老おじさんは
「あ、あの、何でもいいです」と言ってしまった。
「それじゃ分かんないよ、一番高いの焼いちゃうよ」と
軽口の餌食にされてしまった。
店主と常連たちで(この田舎モンが的に)失笑し合っている。

ワタシは食べながら横で聴いていてムッとなった。
(何も言えなかったけど…)
本当の江戸っ子はそんなんじゃないと思うな。
気を働かせて、お客さんに恥をかかせないように
段取を持って行くのがスジじゃないのか。
お客さんを脅かしてどうすんの?

ここのオヤジは粋を気取るあまりに“粋がる”になってしまっている。
そういうのを逆に“無粋(ブイキ、ブスイ)”
または“野暮”というんです。
首からそういう看板をぶら下げている事が分からないようだ。

二度とこんな店来るもんか。
ランチ風雲録(4) 理由
代々木。
地下鉄大江戸線がまだ工事中の頃で、
JRの駅周辺も、近くの通りも全体にバタバタしていた。

とある日本蕎麦屋。
昼時なので混んでいた。
真ん中の大きなテーブルに7~8人で相席。

座ったら水の入ったコップが配られる。
その時もかなり空腹だった。
水はすぐに飲んでしまった。
混雑しているので、予想通りそこそこ待たされた。
やっと注文の親子丼が来たので、
どんぶりの蓋をあけて、
間髪を入れず何も考えずにかっ込んだら
「ハッ、ハッ、ハッ、熱、熱、ハッ、ハッ」
予想外に熱い。
水は全部呑んでしまったし、
「わ、わ、わ、何か無いか、
口の中が焼けるように熱~い!」

真っ赤に焼けた炭火が口中にある感じだ。
ホントに切羽詰まる。
あ、添え物の小皿にヌカミソの胡瓜が二切れある!
<親子丼に付き物のお香コ>だ。
0.8秒でそれを二切れとも口に放り込む。
ジュと音がした(ような気がした)。
助かった、ふ~。
九死に一生。
心地よい冷たさが焼けた舌を救ってくれた。
めくるめく快感と安堵。

判然と悟った。
「あ~、きゅうりのお香コはこのために付いているんだな」
ランチ風雲録(3) 言い方
都内某所。

店前に出した看板に3種類の昼定食が書いてある。
<どれにするか>
これがささやかな楽しみでもある。
ああでもない、こうでもないと考えて、
と言っても数秒の事だが
「ヨシッ」ときっぱり決めてガラス戸を開けて店内に入る。

空いているテーブルに座り、オーダーを取りに来たあんちゃんに

A定食!」と力強く伝える。

するとあんちゃんが、
「A定、終わりました」となぜか“勝ち誇ったように”言うではないか。

え~?
まだ12時ちょい過ぎだぞ。
そんな早い時間に売り切れる定食ってあるのかよ。
ナメンナヨ。
百歩譲って、もし何かの拍子に早く終わってしまったんなら店の前の看板のA定食を消しておけってーの。
そして何よりも問題なのは、ひと言も<詫び>のセリフが無いじゃないか。
「申し訳ありません、A定食は本日終わってしまいました」
これだけ言ってくれれば「まぁショーガないな」と納得するんだよ、こっちは。

温厚なワタシもさすがに堪忍袋の緒が切れて
はっきり言ってやったぜ、…ったく。

「じゃ、B定食でいいです」
ランチ風雲録(2) 寒い日
たしか渋谷だったと思う。
その日はバカに寒い日だった。
ミゾレというか氷雨というか…降っていて、
傘を持つ手の指先の感覚がなくなるほどだった。

アポを取ってあった会社をその日初めて訪問したのだが、
まぁその件は首尾悪く全く実りがなかった。
落胆と悪い天気でトボトボと駅の方に歩いた。

とにかく寒い。(営業で訪問会社に入る時、いちいち脱ぐのが面倒なので冬でもコートは着ていない)
空腹と寒さで、まだ11時半くらいだったが早めの昼食にする。
物色して歩き回るのが面倒なので通り掛かりの寿司屋に入った。
<ランチにぎり1.5人前980円>の看板が目に入った。
そんな天気の日なので店には客がなくワタシが一番乗りのようだ。

傘を傘立てに入れ、カウンターに座るとすぐお茶が出た。
持って来たのはいわゆる追い回しの高下駄を履いている若い衆。
にぎりを職人が作っている間に、また若い衆がみそ汁を持って来た。
大きなエビが入っていて少し豪華なみそ汁だった。
この寒さの中を凍えながら歩いて来た身には
堪らないごちそうだった。
両手で抱えて愛おしむようにすすった。
少しずつ身体が暖まって来た。
実においしい。
堪能して飲み終わった。

やがてにぎりも出来上がった。
すると若い衆がまた横に来て言った。
「みそ汁、お替りどうですか?」
一瞬戸惑った(それって料金はどうなの)。
でも<言外の言>を読めば、すぐに彼のサービスと分かった。
素直に「お願いします」と受けた。
(お勘定の時、もちろん勘定に加えていなかった)

店を出て駅に向いながら考えた。
あれは彼の一存だったのだろうか、それとも店の方針だったのだろうか。
一存だったら、後で怒られたんじゃないだろうか。


なにはともあれ、
飛び切り寒い日に、ほんのり心の温まる体験だった。
あの若い衆のこれからの幸運を祈りたい。
ランチ風雲録(1) 目の光
営業マンとして毎日東京中を歩き回っていた。
昼時には通り掛かりの飲食店で食事をした。
(今はリタイアしたので)これらは1985~2005年くらいの話。
その時々の記憶に残った体験を書いてみよう。
…思い出しながら、不定期に。

― ― ―

あれは確か上野だったんじゃないかな。
営業活動の途中、昼時になったのでいつものようにランチを食べようと思い、店を物色しながら歩いた。
そして行き当たりばったりに、とある「ランチ定食」の看板が出ている喫茶店に入った。
<A定><B定><C定>の内のひとつをオーダーした。
かなり空腹だったので何気なく「大盛りで」と付け加えた。
その瞬間、注文取りのおニイさんの目が光った(ような気がした)。
同時に周囲のお客さんたちの会話が止まって、お互いに顔を見合わせた(ような気がした)。
気のせい?

やがて注文の定食が目の前に置かれて理解した。
「あ、そーだったのか」
ライスの量が多い。いや、かなり多い。
普通の2倍くらいある。
そうかこれか、さっきの周囲の反応の原因は。
そしておニイさんの目の光は…。
その目には「イイ度胸してんじゃねーか、ウチで大盛り注文するとは…」の思いが込められていたんだねぇ。

だって初めて入った店なんだから、知らないよぉ。
もちろんやっとの思いで残さず全部食べました。
食べない訳いかないでしょ、こちらから注文したんだから。
…相当ムリしました。


当然、午後の仕事に差し支えました。