普段のズボン(その2) ガード下の夜
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
会社のOB会
昨夜、以前勤務した会社のOB会があった。
2年ぶり。
懐かしい顔ぶれで、すぐに昔の調子に戻る。
学校の同窓会ではないので年齢にバラツキはあるが、
皆それぞれがそれなりの地位についている。

会場はかつての溜り場だった居酒屋だが、
特筆はそこの先代のマスター(73歳)も顔を出してくれた事。
一緒に悲喜こもごもの時間を共有したので一体感を感じる。
今はセガレさんがマスターをしている。

ワタシは中途で退席して帰宅したが、
たぶんその後も元気なおじさんたち(おばさんも一人)は騒いだのだろう。

幹事さんご苦労さんでした。

帰宅して深夜のテレビでオリンピックの女子サッカー
「日本vsブラジル」を見る。2-0で勝った。

ちょっと良い一日であった。

鳥八
ガード下の夜(3)
<また思い出した>


貧しくても楽しかった安サラリーマンの、
今思えば黄金の日々だった。

いつもの溜り場である焼き鳥屋<T>がお客が満杯で入れない時がある。
金曜日や給料日の直後、あるいは意外と月曜日などが混む確率が高い。
そういう時はすぐ近所のおでん屋の方に行った。
われわれは皆、おでん屋と呼んでいたが
正式な店名は何だったんだろうか、覚えていない。
とにかく仲間内の通称でおでん屋と言っていた。

一方<T>は焼き鳥屋だったが、
常連のわがままでメニューがだんだん崩れていた。
一番オーダーしたのは<焼きそば><焼きうどん>と<野菜炒め>、<もつ煮込み>などだ。
安くて大勢で摘めるので定番だった。
夏は<枝豆>が出色。
マスターが仕入れる枝豆の等級を自慢していたほどで、茹で加減も絶妙だった。
また「今度ラーメン作ってね」と頼んでおくとラーメンが出て来たり、
空腹だった時はご飯とみそ汁を出してくれたりした。

裏メニューでこういうのもあった。
生ま大根とサラミを千切りにして、
マヨネーズ(マヨネーズになにか手を加えていたかも知れない)で和えた一品を
われわれは「逆鉾(さかほこ)」と呼んでいた。
説明しないと今の人には全く分からないと思うが
当時「逆鉾」という関取がいた。
そのお父さんは往年の名関脇「鶴ヶ嶺」。
その鶴ヶ嶺の三人息子の次男(三男は男前の「寺尾」)が
逆鉾関(現在は井筒親方)です。
オデコがチャーミングに出ていて
色白で妙に唇が赤いのが印象的だった。
つまり白い大根のなかにサラミの赤さが、
いかにも逆鉾関を彷彿とさせたのだった。

ちょっと横道にそれたので話をおでん屋に戻す。
ある日、<T>が満杯だったのでとりあえずおでん屋に集った。
<T>が少し空いたらそちらに移る態勢でおでん屋でつないでいた。
こちらは<おでん屋>というくらいだから<おでん>が人気メニューだ。
ドンブリにおでんダネが5~6品入っている。

「それじゃ、このおでんのひとつ一つで駄洒落を言った者が、
その具を食べられるって事にしようじゃないか」と言う事になった。
「よぉしー」「いいよ」

まずN君が大根を箸で示しながら「デーコン(大根)エッグバーガー」と言う。
なるほど、皆が納得しN君がアングリとひと口で大根を頬張った。
さて次は誰だ。
ワタシが竹輪を指差しながら「営団竹輪(地下)鉄」。
(注/今は<東京メトロ>だが昔は<営団地下鉄>だった)
これも認められて食べた。
その後も
「じゃがいも(病も)気から」
「昆布(こんぶ)ニエンスストア」
「はんぺん(短編)小説」
「蒟蒻指輪」などが出た。

最後にワタシが
「ハッピバースデーつゆ」と言って、汁を呑み、
「器(うつわ)まゆみ」と言い、ドンブリをかじった。

…さて、
<T>が空いたからあっちに移ろうぜ。
ガード下の夜(2)
先日しばらく振りにガード下の店に集ったので、それをきっかけに少し思い出したことなどを書いてみる。
もう20年も前の事になるだろう。
まだバブルの前の事だ。

新卒で入社して数年くらいの人たちはまだ給料は低いが、
アパート代は高くみんなヒーヒー言っている生活だった。
(ワタシは幸い実家からの通勤で、しかも社歴も重ねていたので金銭的に恵まれていた)

D社の社員だった連中はそんな貧乏状態にもかかわらず、会社が終わった後近所の焼き鳥屋<T>にほぼ毎日のように通っていた。
いわゆる根城状態の常連客たちだった。
なぜそんな薄給たちが頻繁に呑めたのか、呑み代がほぼ毎回一人2,000円で済んだ事があるだろう。
足りない分はその場の年齢の高い人が出してくれていた。
大体その方式で間に合っていた。

ある時、いつものようにその場の年かさの者が一人2,000円を集めてマスターにお勘定を促したら、「あちゃ~」相当不足だった。
なんで盛り上がったのか知らないが、
かなり呑み食いしたのでいつもの一人2,000円ではどうにも足りなかった。
「おい、今日は足りない。もう1,000円ずつ出してくれ」という事になった。
「シェー」貧乏に喘いでいる若い連中から悲鳴が洩れた。
しぶしぶサイフからナケナシの千円札を差し出してうつろな眼差しをしている。

取りまとめ役がマスターに精算している間、若いK君が言った。
「千円、しぇんえん、シェンエン、シェンエ~ン、comeback!」
悲哀に充ちた駄ジャレが決まった一瞬だった。
(今の若い人には分からないだろうが西部劇映画「シェーン」のラストシーンだ)



貧乏話をもうひとつ。
Y君も貧乏若手のひとりだった。
貧乏とは言え、心は豊かにというライフスタイルを持っていた。
趣味の世界を大事にしているウンチクの人だ。
おしゃれなバー(金額は安い店らしい)などにも出没して自社以外の人脈も持っている。
当然限られた収入なのでなにかを犠牲にせねばならない。
結局、衣服は気にしない事にしたようだ。
スーツは“着たきりスズメ”だった。
だいぶ袖口が擦り切れて来ていたグレーのスーツが、入社以来数年経った彼のユニホームだった。
(もう1着濃いグレーのスーツも持っていたが、それはもっと状態が悪くてあまり着て来なかった)

そんな彼の妹が結婚する事になり、当然結婚式に出席するに当り
一念発起して新しいスーツを注文した。
<T>に来る回数も減らして金を工面したようだ。

いよいよ明日が結婚式という日の夜…、
いつもの<T>で皆が呑んでいる所にY君が現れた。
嬉しそうに出来立ての新スーツを持っている。
イージーオーダーがやっと間に合って取りに行って来たんだそうだ。
ちょっと見せてもらったら紺無地でとても感じが良い仕立てだ。
明日は休みを取ってあって、早朝に飛行機で九州の式場に行く予定だそうでニコニコしている。
その夜はいつものようにワイワイ呑んで、いつものように解散した。

翌朝、まだ家を出る前に昨夜呑んだ中で年長のSさんから電話が来た。
「Yの新スーツを知らないか?」
え? え? え~?
なんと、早朝Y君から電話であの涙の「新スーツが無い」との事らしい。
昨夜の帰りの電車の網棚に置き忘れた可能性が強いが、<T>に置き忘れた可能性にすがりたい気持ちもある。一緒に呑んだ誰かが万が一にも何か手掛かりを知らないかという事だ。

さてさて、……結局どうなったかと言うと、
どこからも痛恨の新スーツは出て来なかった。
受取りに行ったあの日にたった一度だけ試着で腕を通した幻のスーツ。
紺色の、イイ感じの、上品な新品スーツ。
妹の晴れの結婚式に着る予定だったスーツ。
貧乏サラリーマンが入社以来初めて作ったスーツ。

あの日の早朝、Y君はやむを得ず古いスーツのまま飛行機に乗った。
袖口が擦り切れた、
グレーの、
あのいつものスーツを着て。


(※前回記事/2010年7月31日
ガード下の夜
昨夜は以前在籍していたD社を巣立っていった人たちの集りがあり行って来た。
10数人が集合した。
20年以上振りの人もいてなかなか懐かしい。

場所は当時、同僚が夜な夜な呑みに集っていたやきとり屋さん<T>。
ワタシにとっても退職以来だから5年振りくらいの訪問。

相変わらずディープな場所だ。
絶対に初めての人がブラブラ散歩するような通りではない。
怖くて通れないだろう、特に女性は。
(別に治安が悪いということではないが)

JRと高速道路が平行している有楽町のガード下。
有楽町駅に近いエリアは
知名度も高く明るい人気スポットだが、
本物はそこから新橋に方向に向って続いているガード下なのだ。

ますますディープ度を増しているようだった。
昨夜来た久し振りの人で
当時あんなに通ったのにも拘わらず
店を探し当てられず幹事にケータイで誘導されていた。

ガード下

廃墟マニアが垂涎というスポットだが、
まだ店や会社がポツポツ営業しているのだ。