普段のズボン(その2) 2007年11月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
一日二杯のコーヒー
コーヒー

小さな幸い。
“ポアンカレ予想の証明”
先月の10月22日(22:00)に放映されたNHK総合テレビの番組
「100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~」は
興味深いものだったので、
備忘のため要点をメモして置きたい。

●アンリ・ポアンカレ(1854-1912)
パリの知の巨人。位相幾何学(トポロジー)の分野で重要な活躍をする。
ポアンカレ予想という問題提起をしたが本人にも解けなかった。その後100年間数学者たちを悩ませ続けてきた。
そのポアンカレ予想とは「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?」というものらしい。

?????

分かりやすく例えると「ロケットにロープを付けて宇宙に向けて発射したと仮定して、宇宙を一周して地球に戻ってきたロープの、両端(元から地球に残っていた端と一周してきた端)を持ち引っ張ってたぐり寄せる。その時どんな場合でも必ずロープを回収出来るならば、宇宙空間はおおむね丸いと言えるのではないか」という事で、つまり宇宙の形を大まかに知るための問いかけなのだそうだ。
(もし宇宙がドーナツ状の形だったら、ドーナツの穴に引っかかってロープが回収できない)
ぽあんかれ




ーー課題に挑んだ主な数学者たちーー

●ウルフガング・ハーケン博士
プリンストン高等研究所のちイリノイ大学名誉教授。
「98%までは行くのだがその後が壁」となって越えられず。
証明に半生を捧げたが、家族との他愛のない交流によって日常の世界との関係を保ち、現実感を失わずに済んだと述懐する。
●パパキリアコプーロス博士
ギリシャ出身。愛称パパ。
ハーケン博士とライバル関係で証明を巡って激しくしのぎを削る。証明に取り憑かれて生活のすべての時間を費やし、徐々に精神のバランスを崩して行く。特にハーケン博士が「証明した」と発表した(結局3日後に大きな欠陥が見つかる)時には大きなショックを受けた。報いの無いままガンで死亡。
●スティーブン・スネール博士
3次元より上の次元だったら…と考える。4次元や5次元では証明出来たが、結局3次元ではダメだったので撤退。フィールズ賞受賞。
●ウィリアム・サーストン博士
逆転の発想で、「ロープを回収出来ないケースでは他にどんな形が予想出来るか」を考えた。
1982年「最大8種の異なる断片で成り立っている」という革新的な地点に進む。
“幾何化予想”という新たな展開に進むが、本人いわくそこでアイデアが枯れてしまったとの事。



ペレリマン●グリゴリ・ペレリマン博士
1966年ソ連(当時)のサンクトペテルブルグ生まれ。愛称グリーシャ。
天才少年で国際数学オリンプックにも最年少(16歳)で出場。
物理にも強い。
ソ連崩壊により、26歳でアメリカに渡る。

1994年、ソウル予想を証明。

渡米して3年位して人付き合いを避けるようになる。
きっかけはハミルトン博士の論文で「リッチフローを使えば幾何化予想を証明できる可能性がある」と知った。
リッチフロー方程式というのはペレリマンの慣れ親しんだ物理学の方程式だった。
これによって進むべき方向を見いだして、
幾何化予想とポアンカレ予想の証明に向かってのめり込んで行った。

その後、サンクトペテルブルグに戻って研究を続ける。
2002年頃インターネットに幾何化予想とポアンカレ予想の証明が出ていると噂になった。ありがちな事なので「またか」と思われたがなかなか欠陥が見つからず「もしかしたら」と期待が高まった。
2003年、米国の数学界はそのインターネットの主を講演に招いた。
現れたのがペレリマン博士だった。
そこで示された方法は予想に反して、位相幾何学(トポロジー)ではなく微分幾何学を使って解かれたのだった。しかも彼の得意な“物理”の概念である温度やエネルギーといった要素も使って証明されていたのだった。
会場にいた多くの位相幾何学(トポロジー)専門家たちには、内容が理解出来ないような状況だったらしい。
2002年から3つの論文が執筆され、数年の検証を経て証明がやっと確認された。
最後の職場はステクロフ数学研究所(サンクトペテルブルグ)。
目的を達して研究所を辞め、数学界から身を引き、世間からも姿を消した。
謎の失踪と言われた。

現在も世間との接触を断って引きこもり生活をしているようだ。
番組スタッフがツテをたどって居場所を突き止め、高校時代の数学の恩師(アレクサンドル・アブラモフ)と一緒に会いに行く。
彼が住んでいるらしい薄汚れて古びたアパートの近くから、恩師が電話するが本人から面会を完全に拒絶されてしまった。
恩師は高校時代の彼の事を「よく笑う明るい青年だった」と言う。電話で話してあまりの変わりようにショックが隠せない様子。
近所の人の話ではこの5年で6回見かけただけとの事。
(同居の母の年金で細々と暮らしている?)

誰も成し遂げられなかった課題克服に到達するまでの道のりは、想像を絶するような精神の酷使だったのだろう。
得られた成果と失ったものの大きさの比較は本人にしか分からない。

2006年フィールズ賞(4人のうちの1人)はペレリマン博士に決定したが受賞は辞退された。
(※フィールズ賞は4年に1回、数学に寄与した40歳以下の人に与えられる賞。
ノーベル賞には数学部門が無いので、この賞が数学界の世界最高峰と言える。ノーベル賞は毎年授与されるので、むしろフィールズ賞の方が難易度が高いとも言える)

ペレリマン博士はまだ41歳である。
(しかし、画期的な数学の業績を残すのは大体若い時らしい)

番組は最後に、グリゴリ・ペレリマンが、何かは分からないが
“新たな意欲を示しつつあるような気配”を匂わせて終わった。


<雑学うんちく>
下記の二つを対比させるとこのように言えるのだそうだ。
微分幾何学/硬い数学
位相幾何学(トポロジー)/柔らかい数学