普段のズボン(その2) 2010年08月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
438m
夏空にくっきり立つ。

438m



(※同じアングルからの前回記事/2010年1月31日
ハシゴ車イベント
夏休みのファミリーを集めて
消防署、消防車体験イベントをやっていた。

やはり子供たちは高いハシゴの上では
怖くてしゃがんでいる。

はしご車
宇宙ヨット、打上げから100日目
「宇宙ヨット」の構想そのものは
世界で既に100年くらい前からあるのだそうだ。

アメリカや旧ソ連も試みたが失敗している。
理屈は分かっていてもなかなか実際に成功させる事は難しかった。

さてJAXAの小型ソーラー電力セイル実証機<イカロス>だが、
世界初の宇宙ヨットとして着々と成果を上げつつある。
2010年5月21日に金星探査機<あかつき>と一緒に
打ち上げられてから本日で100日目。

今日現在、太陽からの距離が0.99天文単位(AU)。
一度地球軌道より外側に出たので太陽から見ると、
地球の後方を航行していたが、
既に内側軌道に切り込んだので
今後追い越すかたちになって金星方面に向う。

帆は正方形、一辺14m。対角線20m。

2010年6月10日/セイル展開成功確認
2010年6月14日/セイル展開状態の撮影 
  ※分離カメラ(子供のコブシ大のサイズ)を放出して展開の状態を撮影
2010年6月30日/定常運用に移行
2010年7月09日/太陽光圧による加速を確認 
  ※推力は1.12mN(ミリニュートン=約0.1g重)で想定通り。
2010年7月23日/液晶デバイスによる姿勢制御成功
2010年12月頃/金星軌道に達してそのまま通過し、
  太陽を回り続ける人工惑星になる予定
太陽、地球、金星、イカロス、あかつきの位置関係を示した様子(JAXA)


イカロスは実証機だが、
将来の実用機ではもっと大きな帆(帆の直径50m)を装着して
木星圏探査が予定されているようだ。



(※関連記事/2010年1月7日
日陰でグッタリ猫
暑くて暑くて…。

猫
二十日大根(ラディッシュ)成長中
赤いのが顔を出している。

ラディッシュ

赤



(※前回記事/2010年8月7日
百日草
強い日差しを跳ね返すように咲いている。

百日草
428m
東京スカイツリー公式サイト
8月21日現在で428mの表示が出た。

第二展望台が450m予定なので
意外と近い内に
第二展望台の工事に掛かるかも知れない。

428m



(※同じアングルからの前回記事/2010年5月31日
8月が終わりに近づく
蝉の鳴き声が少ないように感じるが、
抜け殻はたくさん見掛ける。

うつせみ
完熟ゴーヤか
ネットで調べたら意外や意外、
苦みが消え甘くなりデザート感覚で食べられるとあった。

完熟ゴーヤ
第一展望台の上部もだいぶ伸びる
スカイツリーの公式HPには418m(8月14日現在)と表示されているが
その時よりもう一段積み上げているので
420m超と思われる。

右隣りの付随高層ビルも順調に伸びている。

418m?
鉈豆(ナタマメ)
サヤのスライスが福神漬に入っている。

花

さや若莢
仮上り線稼働
京成線京成曳舟駅高架工事中。
上りの仮線路、仮ホームが稼働し始めた(写真右)。
(仮の下りは既に稼働済み)

線路を移した空いたスペースで高架工事が本格的に始まろうとしている。

仮上り線稼働


(※関連記事/2010年3月5日
晩 夏
うなだれる姿もヒマワリの味。

晩夏
ブーゲンビリア
南国の花。
わが国もどんどん南国になって行く。

ブーゲンビリア
苅 田
稲刈りが終わった、発泡スチロール箱の田んぼ。

苅田



(※前回記事/2010年8月9日
夏やせ猫
猛暑日、気温より少しヒンヤリしているコンクリに身体を付けている。

夏やせ猫
「しっかりと」
「しっかりと」という言葉…。
政治家にかぎり、使用禁止にしたい用語だ。

なにも担保せずに、なにか重みのある事を発言したかのように
自他ともに錯覚を持たせる、安易で便利な語。
与党野党問わず、そして今昔を問わず永年使われ続けている。

いいかげんにしてもらいたい。
上っ面で、その場しのぎの言葉。
志を持つ政治家でなく、ナリワイとしての政治屋であることの証左。

私企業の営業会議などで「しっかり頑張ります」なんて言ったら
「<しっかり>なんてなんの役にも立たない。数字を言えッ!」
「いくら売上げるんだ? いつまでなんだ? 具体的に言え」
と怒鳴られて通用しませんよ。
富士山、真夏の極寒(2/2)
おとといの話の続きである。


標高が100m高くなると気温は0.6度下がる。
風速は1m増える毎に体感温度は1度下がる。

われわれはその頃3,000m付近を登っていた。
(今夜の宿泊予定である8合目の山小屋元祖・室は標高3,250m)

物凄い強風でビニール雨具はズタズタになり、
全く雨具としての意味が無くなり全身びしょぬれ状態だった。

 風には息があり、
 物凄い突風が吹いたかと思うと
 また少し弱まり、すぐまた
 強烈な突風・疾風の繰り返しだ。

強風が最高潮の時は
まるでマンガのように姿勢を極端に低くして、
地面に埋まった石に指先でしがみついて
吹き飛ばされないようにじっと耐えた。
(チャップリンかキートンの映画に似た場面が有ったかな)


さてここで体感温度をちょっと計算してみよう。

(1)標高による温度低下
0.6(℃)×3,000(m)÷100(m)=18(℃)
(2)風速による温度低下
平均風速15mと考えてみると、15℃

(1)と(2)の合わせ技だから合計33℃低い環境にいた事になる。
仮に真夏の東京都心の気温が33℃だったとしたら
われわれはびしょ濡れのまま、0℃の冷蔵庫にいたのと同じだ。

「歯の根が合わない」と言う表現を身に沁みて体験した。
上下の歯がぶつかってガタガタと音が出た。
これもマンガみたいだった。
小刻みに身体が震えて何かしゃべろうとしても
まともな言葉にならなかった。

真っ暗な中、命カラガラに8合目にたどり着いた。
懐中電灯はさすがに持っていた。

予約済みの山小屋に転がり込んで九死に一生を得た。
決してオーバーではなかった。

ストーブにかじり付いて暖を取り、
濡れた着衣を絞って少しでも乾かした。
夕食も食べやっと人心地がついた。

そうこうしている時、白人3人連れが小屋の玄関口に立った。
見たところ親子かも知れない。
男の大人1人とハイティーン男女の子供。
小屋の係が応対している。

「この上の方の小屋に予約してあるが
どうにも疲労困憊してもうこれ以上登れないから
この小屋に泊めて欲しい。それに下の子供は病気である」
というような事を主張していたようである。
子供は今にも泣きそうな表情をしている。
親は窮状を切々と訴えた。

山小屋はそもそも緊急避難も主な任務なので
係が上の小屋に電話で事情を説明し、
こちらに泊めるという話がついた。


われわれは寝支度をしながら、
明日は山頂に行けるだろうかなどと話し合った。
はたまた風雨は収まるだろうか。
分からない事は考えても仕方ないので寝るしかない。
明日は未明の3時起きの予定だ。
夏の山小屋は当然ザコ寝である。
途中トイレに立ったら、戻ってももう寝る場所は残っていないのである。
熟睡出来るはずもないが、疲労でウトウトした。
3時に一度起きたが、相変わらずの風雨が続いている。
グズグズして4時に起きた。

ふと見ると、あの白人親子も起き出して
出発の準備をしている。
5~6時間前にはあんなに頼りなげに見えたのに
今は元気一杯に見える。
口笛でも吹きそうな勢いだ。
われわれのようにストーブにかじり付いてもいない。
なんという回復力。
基礎体力の違いをまざまざと見せつけられた。

かつて日本軍はよくこんな人たちと戦争したもんだ。


回りの人たちがどんどん出発しているので
われわれも出発した。

大勢の登山客に挟まれながら少しずつ登っていった。
雨こそ止んだが、風は容赦がなかった。
相変わらず強烈な突風が吹いた時は
地面にしがみついてやり過ごした。

そしてやっと、やっと頂上の神社に着いた。
とにもかくにも富士山に登ったのだ。
なんとドリンクの自販機が稼働している。
平地より値段が高いだけの違いだ。
われわれは小屋で熱い甘酒に舌鼓を打ち、生き返った心地がした。

さらに最も高い地点である剣が峰(3,776m)に行くべく歩き出したが、
なにしろこの富士山頂は遮る物が全くないために、
風の力がさらに半端ではなく、凶暴でさえあった。
冗談でなくこの先に進むと命の危険の確率が1/2だった。
ここは命を賭けるところではなく、親睦登山だから
もはやここまでと判断して下山に移った。
今でもこれは正解だっただろうと思う。

下りは中年二人はゆっくり下りたが
若い連中は速い速い、びゅんびゅん下りていった。
5合目の駐車場に戻ったら、
若い連中はもう1時間以上前に着いたとの事。
まずはめでたく無事に登山を終わった。

…ところが波乱がまだ残っていた。
駐車場に停めたワタシのクルマが見事にバッテリーが上がっていた。
スモール・ランプの消し忘れだった。
幸いもう1台Kaクンのクルマがあったので
ブースター・ケーブルを繋いでエンジンが掛かった。
やれやれ。

Kaクンのクルマは格安中古車で
後部座席の窓ガラスが開かない。
なぜならガムテープで内側から固定してあるからだ。
ある日窓ガラスがドアの内部に落ち込んでしまったからだそうだ。
そんなクルマに助けられた。Kaクンありがとう。

スバルライン

エンストを起こさぬように気をつけながら
富士スバルラインを下った。
エンジンブレーキ多用の長い長い下り坂である。
すると、ワタシのクルマのマフラーから爆発音。
「バンッ!」
「バンバンッ!」
何だ?
クルマに詳しいKaクンに聞くと
「これはアフターファイアだからしょうがないですね。
このまま行くしかないです。下に降りればダイジョブでしょう」との事。

河口湖に下りるまで騒々しいのなんのって。
「バンッ! バンバンッ! バンッ!」
(皆さん、ご迷惑お掛けしました)

平地になったら音がしなくなって、
無事帰宅となりにけり。
かくして長い二日間が終わったのだった。
野牡丹
紫色がなかなか再現されない。
どうしても青味に偏る。

のぼたん
富士山、真夏の極寒(1/2)
だいぶ前の話です。

ワタシは1987年3月21日付けで経理部から営業部に転属になった。
かなりな方向転換でもあるが
会社員である以上、会社にもいろいろ事情があろう。

それはともかく、
同僚で年長であるSさんが40歳になったのを記念して、
富士山に登ろうじゃないかというプランが浮上した。
実行日は1987年7月11日(土)、12日(日)。

S、ワタシ、Ko、N、Ka、T、Ogの男7人の同僚がメンバーだ(クルマ2台)。
当時Sさんが40歳、ワタシが38歳の中年組で、残りは全員20代。
中央高速道路の石川PAに10:00集合の約束だったが、
Kaクンたちのクルマがだいぶ遅刻。
やきもきしたが、とにかく合流できた。
天気は晴れたり曇ったり。
ワタシはそれなりに山経験があったので山の格好をしていたが
なんとKaクンは短パンにビーチサンダルだった。
(もちろんあとで着替えるつもりなのだが…)
よその人たちは、
一体あのグループはどこに行くつもりだ?と不審に思ったに違いない。

8合目の小屋「元祖・室(むろ)」に予約済み。
1泊2食付で5,000円との事(あくまでも1987年の料金です)。

河口湖畔から富士スバルライン(富士山有料道路)を走って
終点の5合目に着いたのは、午後もそれなりにイイ時間になっていた。

そこの駐車場に停めて、いよいよ富士山登山がスタートした。
ところがだんだん空模様が怪しくなって来たゾ。

やっぱり富士山、日本で一番高い山だ。
甘くない、ナメンナよ。
どんどん雲が流れる。
ポツポツ降り出す。
雲が厚くなってくる。
風が強くなって来る。

後から考えるとわれわれの雨具は実にイーカゲンだった。
ビニールの雨合羽やビニールポンチョがせいぜいで、
本当の山用レインウェアの人は皆無だった。
一番ヒドい人はどこから調達したのか知らないが
<大きな黒いゴミ袋>が雨具だった。

その時の集合写真を見ると、
その黒いゴミ袋から顔を出した<恐怖の生ゴミ人間>が笑っている。

6合目、7合目と進む内に
本格的な雨と、とにかく…
とにかく、とにかく
モーーーーーレツな風。


(長くなるのでこの続きはまた近い内に)
足場を外し始めた
東武線曳舟駅前に建設中のイトーヨーカドー曳舟店。
今秋のオープンを控え急ピッチで工事進行中。

一部足場が外され外観が見え始めた。

ヨーカドー



(※前回記事/2010年7月4日
408m
しばらく第一展望台の工事に掛りきりで
高さは変わっていなかったが
やっと展望台工事が一段落になり
8月7日に408mになった。

タワークレーンの位置移動も終わった。
今まで塔体の頂上に3基態勢だったが
展望台の屋上に3基とも移し
さらに1基追加して4基態勢になった。

ワイヤーの長さが限界なので
2基を展望台屋上までの荷揚げ専用にして、
残りの2基で更なる高さまでの組上げ用にする
分担作業になるようだ。

408m



(※前回記事/2010年7月28日
そろそろ稲刈りか
米粒の一つひとつが出来ている。
(もちろん町中の箱型田んぼだから農家の稲とは較べられないが)

稲



(※前回記事/2010年8月2日
ガード下の夜(3)
<また思い出した>


貧しくても楽しかった安サラリーマンの、
今思えば黄金の日々だった。

いつもの溜り場である焼き鳥屋<T>がお客が満杯で入れない時がある。
金曜日や給料日の直後、あるいは意外と月曜日などが混む確率が高い。
そういう時はすぐ近所のおでん屋の方に行った。
われわれは皆、おでん屋と呼んでいたが
正式な店名は何だったんだろうか、覚えていない。
とにかく仲間内の通称でおでん屋と言っていた。

一方<T>は焼き鳥屋だったが、
常連のわがままでメニューがだんだん崩れていた。
一番オーダーしたのは<焼きそば><焼きうどん>と<野菜炒め>、<もつ煮込み>などだ。
安くて大勢で摘めるので定番だった。
夏は<枝豆>が出色。
マスターが仕入れる枝豆の等級を自慢していたほどで、茹で加減も絶妙だった。
また「今度ラーメン作ってね」と頼んでおくとラーメンが出て来たり、
空腹だった時はご飯とみそ汁を出してくれたりした。

裏メニューでこういうのもあった。
生ま大根とサラミを千切りにして、
マヨネーズ(マヨネーズになにか手を加えていたかも知れない)で和えた一品を
われわれは「逆鉾(さかほこ)」と呼んでいた。
説明しないと今の人には全く分からないと思うが
当時「逆鉾」という関取がいた。
そのお父さんは往年の名関脇「鶴ヶ嶺」。
その鶴ヶ嶺の三人息子の次男(三男は男前の「寺尾」)が
逆鉾関(現在は井筒親方)です。
オデコがチャーミングに出ていて
色白で妙に唇が赤いのが印象的だった。
つまり白い大根のなかにサラミの赤さが、
いかにも逆鉾関を彷彿とさせたのだった。

ちょっと横道にそれたので話をおでん屋に戻す。
ある日、<T>が満杯だったのでとりあえずおでん屋に集った。
<T>が少し空いたらそちらに移る態勢でおでん屋でつないでいた。
こちらは<おでん屋>というくらいだから<おでん>が人気メニューだ。
ドンブリにおでんダネが5~6品入っている。

「それじゃ、このおでんのひとつ一つで駄洒落を言った者が、
その具を食べられるって事にしようじゃないか」と言う事になった。
「よぉしー」「いいよ」

まずN君が大根を箸で示しながら「デーコン(大根)エッグバーガー」と言う。
なるほど、皆が納得しN君がアングリとひと口で大根を頬張った。
さて次は誰だ。
ワタシが竹輪を指差しながら「営団竹輪(地下)鉄」。
(注/今は<東京メトロ>だが昔は<営団地下鉄>だった)
これも認められて食べた。
その後も
「じゃがいも(病も)気から」
「昆布(こんぶ)ニエンスストア」
「はんぺん(短編)小説」
「蒟蒻指輪」などが出た。

最後にワタシが
「ハッピバースデーつゆ」と言って、汁を呑み、
「器(うつわ)まゆみ」と言い、ドンブリをかじった。

…さて、
<T>が空いたからあっちに移ろうぜ。
二十日大根の芽
先般<100円ショップ>でよりどり2袋100円のタネを購入。
その内のひとつ<二十日大根>を8月4日に蒔く。

もう元気な芽が出て来ている。

はつか
マッカーサー道路の今日
少しずつ工事が進んではいるが、まだまだ。

左右が第一京浜。
画面の向う側が虎ノ門。
道路

汐留の方からマッカーサー道路に繋がる道の整備もだいぶ前から進んでいるが、
こちらはほぼ出来ていて、本体の道路の完成を待っている感じだ。
間を新幹線が通っている。
汐留



(※前回記事/2010年4月11日
ガード下の夜(2)
先日しばらく振りにガード下の店に集ったので、それをきっかけに少し思い出したことなどを書いてみる。
もう20年も前の事になるだろう。
まだバブルの前の事だ。

新卒で入社して数年くらいの人たちはまだ給料は低いが、
アパート代は高くみんなヒーヒー言っている生活だった。
(ワタシは幸い実家からの通勤で、しかも社歴も重ねていたので金銭的に恵まれていた)

D社の社員だった連中はそんな貧乏状態にもかかわらず、会社が終わった後近所の焼き鳥屋<T>にほぼ毎日のように通っていた。
いわゆる根城状態の常連客たちだった。
なぜそんな薄給たちが頻繁に呑めたのか、呑み代がほぼ毎回一人2,000円で済んだ事があるだろう。
足りない分はその場の年齢の高い人が出してくれていた。
大体その方式で間に合っていた。

ある時、いつものようにその場の年かさの者が一人2,000円を集めてマスターにお勘定を促したら、「あちゃ~」相当不足だった。
なんで盛り上がったのか知らないが、
かなり呑み食いしたのでいつもの一人2,000円ではどうにも足りなかった。
「おい、今日は足りない。もう1,000円ずつ出してくれ」という事になった。
「シェー」貧乏に喘いでいる若い連中から悲鳴が洩れた。
しぶしぶサイフからナケナシの千円札を差し出してうつろな眼差しをしている。

取りまとめ役がマスターに精算している間、若いK君が言った。
「千円、しぇんえん、シェンエン、シェンエ~ン、comeback!」
悲哀に充ちた駄ジャレが決まった一瞬だった。
(今の若い人には分からないだろうが西部劇映画「シェーン」のラストシーンだ)



貧乏話をもうひとつ。
Y君も貧乏若手のひとりだった。
貧乏とは言え、心は豊かにというライフスタイルを持っていた。
趣味の世界を大事にしているウンチクの人だ。
おしゃれなバー(金額は安い店らしい)などにも出没して自社以外の人脈も持っている。
当然限られた収入なのでなにかを犠牲にせねばならない。
結局、衣服は気にしない事にしたようだ。
スーツは“着たきりスズメ”だった。
だいぶ袖口が擦り切れて来ていたグレーのスーツが、入社以来数年経った彼のユニホームだった。
(もう1着濃いグレーのスーツも持っていたが、それはもっと状態が悪くてあまり着て来なかった)

そんな彼の妹が結婚する事になり、当然結婚式に出席するに当り
一念発起して新しいスーツを注文した。
<T>に来る回数も減らして金を工面したようだ。

いよいよ明日が結婚式という日の夜…、
いつもの<T>で皆が呑んでいる所にY君が現れた。
嬉しそうに出来立ての新スーツを持っている。
イージーオーダーがやっと間に合って取りに行って来たんだそうだ。
ちょっと見せてもらったら紺無地でとても感じが良い仕立てだ。
明日は休みを取ってあって、早朝に飛行機で九州の式場に行く予定だそうでニコニコしている。
その夜はいつものようにワイワイ呑んで、いつものように解散した。

翌朝、まだ家を出る前に昨夜呑んだ中で年長のSさんから電話が来た。
「Yの新スーツを知らないか?」
え? え? え~?
なんと、早朝Y君から電話であの涙の「新スーツが無い」との事らしい。
昨夜の帰りの電車の網棚に置き忘れた可能性が強いが、<T>に置き忘れた可能性にすがりたい気持ちもある。一緒に呑んだ誰かが万が一にも何か手掛かりを知らないかという事だ。

さてさて、……結局どうなったかと言うと、
どこからも痛恨の新スーツは出て来なかった。
受取りに行ったあの日にたった一度だけ試着で腕を通した幻のスーツ。
紺色の、イイ感じの、上品な新品スーツ。
妹の晴れの結婚式に着る予定だったスーツ。
貧乏サラリーマンが入社以来初めて作ったスーツ。

あの日の早朝、Y君はやむを得ず古いスーツのまま飛行機に乗った。
袖口が擦り切れた、
グレーの、
あのいつものスーツを着て。


(※前回記事/2010年7月31日
シシトウの輝き
食べるだけの収穫。

ししとう



(※前回記事/2010年7月12日
蝉の抜け殻
夏真っ盛りだ。

先日は4日連続の猛暑日があり、
30度超の真夏日くらいは当たり前の日が続く。

長期予報だと8月はこのような状況が変わらないようだ。

せみ

蝉の抜け殻が花茎にしがみついている。
稲 穂
近所の発泡スチロール田んぼ。
いよいよ穂が出て少しずつ稔っている。

いなほ



(※前回記事/2010年7月5日