普段のズボン(その2) 2011年05月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
タマネギ収穫
いよいよ本日収穫。

思い起こせば種蒔きは2010年10月4日だった。
収穫までおよそ8ヵ月だ。

初めてのタマネギ体験だったが
生育が順調で病気も虫も被害なし。
かなり満足した。

コンテナ畑コンテナ畑

ものさしタマネギまずまずのサイズ



(※このタマネギの最初の記事/2010年10月12日
1Q84
今さらながらだが、
何ヵ月か前に「1Q84」(1)~(3)を読んだ。
(Book4が出るというウワサも、ないことはない)

読後感想を書こうと思っていろいろ考えてみたが
なかなかまとまらない。

満足と不満。
納得と不要領。

もう一度読まないと書けないという事が分かった。

1Q84
黄菖蒲(きしょうぶ)
外来種で野生化した。

きしょうぶ
タワークレーン解体始まる
第一展望台の上に4基(高所用2基、荷揚げ用2基)設置されて、
せっせと活躍してきたクレーンもその任務が終了したのに伴い、
2011年5月23日(月)からクレーンの解体作業が始まった。

向って右側のクレーンがほぼ既に降ろされた。
順次降ろされて行く予定で7月には完全に降ろされるようだ。

タワークレーン

往年の漫才“春日三球・照代”の
「どうやってクレーンを降ろすのか」が思い出される。
「それを考えるとまた今晩寝られなくなっちゃう」

ともかく三球さんはその答を言う。
「ひと回り小さいクレーンを設置して、大きいクレーンを降ろす。
順次それを繰り返し、徐々に小さくして、最後は一番小さなクレーンを
係の人がポケットに入れてエレベータで降りて来る」

「ポケットに入れて」はギャグだけど
それ以外は正解だそうだ。
なんかうれしい。
恐怖のビール社長(4/4) ~ふと我に返るの巻~
会社には写植機が2台あった。
「モリサワ」と「写研」という2大写植機メーカーの機械が1台ずつ。
ワタシは会社に入ってから初めて写植機に触った。
全くの素人だったが見よう見まねですぐ使えるようになるものだ。
最初は見出しのような短い断片から始め、次第に文章も出来るようになる。

写植(写真植字)の現像作業は写真現像とほぼ同じだ。
文字を露光した印画紙を、社内の暗室で現像し、定着させ、乾燥させる。
薬液の独特な酸っぱい匂いが思い出される。
現像液の温度も重要で、寒い冬など現像液の温度が低くて文字が充分に黒く浮き出て来ず「灰色程度」にしかならずに焦る事もあった。
そんな時は1~2時間掛けて打ちこんだ膨大な労力が無駄になってしまう事態でもあった。
そうかと言って現像液を温め過ぎるとあっという間に現像が進んで、
白地さえもグレー掛かって、これもまた使い物にならなくなってしまう。
その他「とんでもない失敗」としては、
ぼんやりしていて「ついうっかり」現像中に自分で普通の照明スイッチを点けてしまう事。
また現像中なのにも拘わらずに、それを知らずに他の人が「うっかり」暗室の戸を開けてしまう事。長い間にはいろいろな事があるもんだ。

現像した印画紙を乾かす時、乾燥機(電熱式)にセットして熱で乾かすのだがその乾燥機は「入」と「切」のスイッチしかない、つまりタイマー式ではなかった。当然「切」のスイッチを忘れたら火事の危険が多分にある。
チーフのSさんの体験話では「以前夜遅くまで仕事していて深夜に帰宅したんだけど、“あれ乾燥機のスイッチを切ったかな”と不安になって寝られず、またタクシーで会社に確認に戻った事があった。幸いスイッチは切ってあったけどねぇ、いや~焦ったよ」との事。あぶない、あぶない。

当時「写植オペレーター」という職種があった。
企業内でもレッキとした職種であり、また写植機を用意して独立しても食べて行けた。
ところが「パソコン」と「DTP」が普及し始めたら、忽然と消滅してしまった。
世の中の技術革新というものはつくづく恐ろしいもんだと思う。
フイルムカメラの設計技術者もデジカメが出来て不要になってしまった。
たぶんもうじき内燃エンジンを動力にする自動車の設計技術者も似た顛末になるのではないか。
電気自動車は従来の自動車に比べ、部品数が1/3とも1/4とも言われているようだ。
従来の巨大メーカーでなくても、新規参入会社が比較的簡単に作れてしまうらしい。

話を元に戻す。
スキーの月刊雑誌はその性質上、季節にとてもシンクロしているので
夏は薄く、秋から冬はかなり分厚い。
(今はどうなのか知らない、すっかり疎くなっている)

夏の終わりころ、その雑誌の繁忙期に向けてかなりの増ページがあるので
まとまった写植受注があった。
いつもの仕事の他の臨時仕事なので3日くらい泊り込みをした。
着替えのパンツ持参で出社して
お風呂は会社の近所の銭湯に行った。
眠い目をこすりながらの写植打ちなので
深夜になるとミスも目立ち3~4時間は仮眠した。
なんとか乗り切るとそれなりに達成感は大きかった。

秋が過ぎ2回目の正月休みを迎えた。
無我夢中で過ごしていた日常からポッカリと離れて“われに返った”。
「あれ、こんな事しながら5年先10年先もずっとこんな感じで過ぎて行くのかな」「ただ毎日が忙しく自分の事を何も出来ずに日々が過ぎて行くのかな」「どう考えてもこのままじゃいけないな」
忙しくてお金を使うヒマがなく、住まいは親元なので部屋代も掛からず、親は自営業で頑張っていたので、給料はほぼそっくり残っていた。
「よし、ここはイッチョウ海外旅行でもしてみよう」

小さな会社なので在職したままの長期休暇はムリ。
また、すぐには会社を辞められないのは分かっている。
とりあえず退職を心に決め、円満退職をめざしいろいろな準備に取り掛かった。
そしてその年の8月に退職した。
結局約1年9ヵ月位の在職期間だった。

9月末から10月初旬にかけて2週間の団体ヨーロッパツアーに参加した。
宿題の無い夏休みのようで心から満喫した。
帰りの飛行機の中で、配られた日本の新聞の求人欄を見た。
次の求職活動の最初の一歩だった。

短い期間の割に多くの経験をさせてもらって、
最初の会社にはとても感謝している。
葡萄の花が開き始める
葡萄の花は大きく言えば風媒花で虫がいなくても受粉する。
メシベとオシベが近接しているので勝手に自家受粉するようだ。

前回(おととし)は受粉が済んで
果実が出来始めるというタイミングで
全部の房が急に萎んでしまった。
そして昨年は蕾みも出来なかった。

今年こそなんとか実が成熟するといいんだが。

葡萄花



(※おととしの失敗記事/2009年5月27日
恐怖のビール社長(3/4) ~深夜の編集室の巻~
夏の夕方、社長から電話が入った。
「こっちにちょっと来なよ」
こっちとは社長がほぼ常駐している出版社の事である。
だんだん会社業務に慣れて来て、そっちに今から行けば
今日中に帰れない事は容易に察しがついた。
「あっちゃ~」
しかし社長からの指示なので断れる筈もなく移動した。

出版社の最寄りの地下鉄駅から地上に上がると、
大勢の帰宅サラリーマンたちとすれ違った。
その群衆からは、夏の一日が終わってほっとした雰囲気が漂っていた。
呑みに行く人、帰宅の人…、雑踏に揉まれてざわめきの街の中を出版社に向った。
「皆さんワタシはこれから今日半分の仕事の始まりです」と
心の中でつぶやいた。

その出版社は煌々と灯りが点いていて活気があった。
社長としてはこの出入りの出版社にワタシを慣れさせて、
同時に各担当者にもワタシの顔を覚えてもらうという事を狙っているんだろう。

あるスポーツ雑誌の4ページをレイアウトしてみろと指示された。
「こうして、こうして、こうすればいいんだよ」と説明される。
そしてこう続けた。
「明日の朝、印刷屋が取りに来るからサ、ま、ゆっくりやんなよ」
「はー、……」

慣れないヨソの会社で、慣れない机と慣れない道具を使い、
室内には知らない編集員たち。
社長も離れた机で自分の仕事をこなしていた。
まあ見よう見まねで大体の事は分かっているつもりだけど、
やってみるとなかなか簡単ではない。
冷や汗を掻きながら、そして分からない所になると
その都度社長に聞きながら少しずつ進めた。
しかし我ながらスピードが遅い事おびただしい。
もう終電はとっくにあきらめた。

深夜、付けっぱなしのテレビでは
折しも起きた中年男による「日本航空124便ハイジャック事件」で
羽田空港に着陸した日航機の生中継が延々と続いていた。
その膠着と緊迫の様子に眠気は紛らわされた。
テレビを見ていろいろ雑談を交わしながら
深夜の編集室の時間は過ぎた。
やっとなんとか終わったのは夜中の2時頃だったろうか。
社長に見せたら「帰ってもいいし、そこらへんで寝ていってもいい」との事。
当然、椅子を3つ並べて寝た。
他の人たちはまだ仕事が続いていたようだ。

朝7時ころ目が覚めると、社長の姿が見えない。
残っていた編集員が「オタクの社長は帰ったよ」との事。
社長が仕事をしていた机の上には
20ページ位のレイアウトがピシっと完了して整然と置いてあった。
さすがに社長の集中力と力量は半端じゃない。
ダテにこの世界で永年食べていないようだ。

ワタシは出版社を出て途中の喫茶店で朝食を食べて、
本来の会社の始業に間に合うように出社した。
でもなんだか、ちょっと一人前になったような気がした。


(最後の次回につづく)
恐怖のビール社長(2/4) ~朝はまったりの巻~
朝はまず先輩娘のMちゃんが入れてくれるコーヒーから始まった。
Mちゃんはワタシより年齢が3つか4つ位下だが、
社歴が1年か1年半位早いので既に仕事に慣れていた。
ワタシが出来ないような事をスイスイこなしていた。
こちらはデザインの勉強はしていても実務経験がないので、
くやしいが最初の頃はとてもMちゃんにかなわない「どんくさい」ヤツだった。

社内はMちゃんの好みで、FM東京をずっと掛けっぱなしだった。
朝はまったりした「FMファミリー」という番組。
これはとても良かった。
DJは浜島信子という少し年配の人で、落ち着いた語りと選曲で癒され続けた。
 
僕の歌は君の歌(エルトン・ジョン)、太陽を背にうけて(ジョン・デンバー)、アローン・アゲイン(ギルバート・オサリバン)、名前のない馬(アメリカ)、スウィート・キャロライン(ニール・ダイアモンド)、この素晴らしき世界(ルイ・アームストロング)、アイム・ア・ビリーバー(モンキーズ)、ピアノ・マン(ビリー・ジョエル)…などや、
もちろんサイモンとガーファンクル、カーペンターズ、ビートルズの数々の曲などがよく掛かった。
そんな風に午前中はのんびりとした時間が流れた。

さてところが、この会社の難点はその日の仕事が
いつ頃終わるのが全く分からない事だった。
社長がいつもの出版社で今朝までにやったレイアウト仕事の
関連仕事(「見出し」の写植打ちや「柱」、カットなどの作成)を
わが社の営業担当が昼前ころに回収して来る。
それからその仕事が本格的にスタートして、ある程度目鼻をつけてから
昼ご飯を食べるに行くのでそれが午後3時~4時ころになる。

その他にはいくつかの出版社や団体からの仕事が定期や不定期に入った。
定期刊行物(タブロイド版サイズ)や教科書・参考書の図版などの版下作成、
ページ物の写植打ちなど。

午後5時に普通の会社だと終業の会社が多いだろうが、
この会社は「さて、一日の半分が終わったな」という感覚だった。 
終電で帰る事も多かったし、終電に間に合わないという事態もポツポツ有り得た。

社長はいわゆるアウェーの会社でいつも仕事をしているので
いくら慣れていると言ってもストレスが溜まるんだろう。
仕事が無い時はこちらの事情や都合も考慮せず呑みに誘って来る。
仕事でなら「仕方ない」という気持ちの収め方があるのだが、
仕事でない状況で、夜中の2時頃までヒタスラだらだらと
社長のビール呑みに付き合わされるのは辛い。

例によって社長はなにも食べない。
社長が食べないのに社員が食べ物を注文しにくいものだ。
それでもたまに思い余って「社長、ナポリタン食べていいでしょうか」と決然と言うと、
「欠食児童だなぁ、いいから食べなよ」と言う。
お勘定は社長持ちなのでどうしても遠慮勝ちになるのだった。
まぁ、そんなダラダラ話の中にも、
人生の先達としての「へぇ~」という経験話も散りばめられているので、
完全に時間のムダとも言い切れず苦渋の体験だった。

深夜2時3時にタクシーを拾って帰宅しても、
翌朝9時にはまた会社に入る事を考えたら、
<寝る時間、体力、お金>すべての点で
無理して帰宅せず、会社に戻って会社で寝る方がベターだ。
会社には布団が1セットあったので、たまに利用した。

社会に出て間がなく、
それまであまり酒を呑む機会が無かったから当然酒に慣れていないので、
悪酔いして深夜の路上で吐いた事も何回かある。
そんな時「なにやってんだかなぁ」の寂寞感が漂った。



(また次につづく)
恐怖のビール社長(1/4) ~最初の日の巻~
<そんな事もあったっけという思い出話>


あれはだいぶ昔の事…、そう、1973(昭和48)年の晩秋。
ワタシは20代前半で、生まれて初めてピカピカの社会人1年生になった時だ。
今から数えると結局5つの会社に勤めたことになるが、
その最初の会社が<有限会社G社>だ。
小さなデザイン会社だった。
主な仕事内容はと言うと基本的には<版下屋さん>だ。
今はDTPで簡単に出来るので今の若い人には想像も付かないだろう。

とにかくその会社に入社が決まった時の事だ。

チーフ格(この会社のナンバー2)であるSさんとの面接に一応受かって、
入社の前日、最終的に初めて社長に会う事になった。
夕方6時に来社乞うという事で行ったのだった。

地下鉄千代田線千駄木駅で降りて地上に上がる。
団子坂を上り左手に鴎外記念図書館の前を過ぎ、さらに歩くと文京区向丘だ。
あたりは暗く寒さも募って来た。
そこの小さなビルの2階だか3階だかだった。
もう40年近くも前の事で記憶もあやふやだ。
周辺はお寺が多くなかなか静かな環境だった。

ワタシは初めて社長である人物に会うのだし、
初対面の人たちも何人かいる中に入ってコチコチに緊張していた。

とりあえず隅の方のイスに座らされて待っていた。
パーティションの向う側でその社長らしき人の声が聞こえる。
社員の人たちにいろいろ指示をしている。
後で知った事だが、社長は普段、会社には出社せず、
仕事を発注してくれる出版社の方にほぼ常駐していた。
したがってたまにしか会社に来ないので
指示する事、話す事がいろいろあったのだろう。
しかし、そんな状態のまま20分、30分過ぎた。
いくらなんでもちょっと待たせ過ぎじゃないかな、と一応は思ったが、
ま、相手は入社する会社の社長なので仕方ない。
やっと誰かが「入社の人が待ってますよ」と催促してくれた。

社長なる人物がパーティションのこちら側に来て、
「じゃ、ちょっと出ようか」と言って
社長とチーフのSさんとワタシの3人で歩いて近くの喫茶店に連れて行かれた。
社長がビールを注文した。
なじみの店のようで瓶ビールとグラスが3つ並んだ。
「入社の心得」とか「業界の話」とかが話されるのかと思ったが、
そうでもなく、ダラダラと仕事とも雑談ともつかない話が続き
時間ばかりが過ぎた。
ビールのツキダシとして各人それぞれにピーナツが5~6粒、
紙の小さな小皿に載っている。
食べるものはそれだけ。
あとはひたすらビール。
空腹だが様子が分からないのでガマンするしかない。
夜8時、9時、10時、11時。
だんだん終電の時間が気になった。
社長がトイレに行ったスキにSさんに聞いた。
「あのー、終電が近づいているんですけど…、そろそろ終わりですよねぇ」
「うん、そーねぇ。…これで終わりだと思う?」
「……」
「いや~、なかなかなんだ、これが」という返事だった。
トイレから出て来た社長が、
話の続きをまた始めて結局終電なんかあっけなく過ぎてしまった。
深夜1時ころになってSさんが
「社長そろそろ明日の事もあるんで、それにX君(ワタシの事)も初日ですから」
と言ってくれる。
「…ったく、しょーがねぇな、ブツブツブツブツ。じゃ、X君は帰れ、S君はもう少し話がある」
と言って、とにかくワタシは解放された。やれやれ。
ワタシはふたりを置いて店を出た。
当然電車がないのでタクシーで帰ったが、
「ふ~、結局何だったんだ? 今日の対面は」
…よく分からない。
教訓<世の中には良くわからない事があるもんだ>

家では「社長との面談」に行ったまま
夜中になっても帰って来ないので、親がとても心配していた。
ケイタイ電話など影も形も無かった時代なので、連絡も出来なかった。

翌日、9時の始業時間に間に合うように出社した。
Sさんが出社したのは10時過ぎだった。
社長はそもそもこちらの事務所に出る予定ではないから来ない。
どうも「いつもの事」らしいという事が分かった。
Sさんに昨夜のその後の事を聞いたら、おひらきになったのは2時頃だったらしい。

その後いろいろ知ることになった。
社長はどうやらビールだけで生きているようだ!
それからも社長が食事をしている所を見た事がなかった。
ビールを呑んでいる所しか記憶にない。
謎のビール人間だったのだ。

その初対面を含めてそれからの日々は、
ワタシにとっては、なにもかもが新鮮な社会人体験で、
不思議にあまりツライと言う感じは無かった。
仕事を覚えるのが精一杯だったし、現実の仕事はそれなりにおもしろかったのだ。



(次につづく)
ゴーヤのツルがヒモに掴まった
風に揺られて不安定だったゴーヤの苗が、
3本ともやっと誘導用のヒモを掴んだ。
少しくらい風が強くてもこれでちょっと安心。

ゴーヤ



(※前回記事/2011年5月16日
宇宙ヨット「イカロス」、打上げから1年目
「イカロス」はそもそも「木星・トロヤ群小惑星探査計画」の「前段階」として計画されたミッション(ソーラー電力セイル実証機)である。

ちょうど1年前の2010年5月21日に打上げられて丸1年経過した。
事前の予定計画をすべてクリアして、現在おまけのミッションを遂行中。

地球もイカロスも太陽を回る軌道を回っているので、
一番離れていた時期を既に過ぎて、今はまた近づきつつある。
<昨日現在の地球との距離/約1億2738万km>

今となってはヒヤヒヤものだが、
スケート場を深夜借り切って行なわれた展帆実験で、30回くらい行なったうち展開に成功したのは2回だったそうだ(!?)。

長野県臼田の直径64mのパラボラアンテナで交信しているが、パラボラがとにかく大きいので強風には手こずるようで、風が強くなるとお椀状のアンテナを真上に向ける安定姿勢にして風の収まるのを待つそうだ。


***


別の宇宙ネタを少し。


2011年4月5日午後(米国東部時間)、中国が2007年に衛星破壊実験で破壊した破片(デブリ)がISSの約6kmまで接近した。3人の乗員は無事だったが一時は緊急脱出用のソユーズ宇宙船への避難も検討された。
デブリは約15cm大サイズ。
同実験で発生した破片は約3,000個。



「はやぶさ」のサンプル容器はAとBの2室ある。
イトカワから持ち帰ったサンプルは容器Bの方こそ期待らしい。
既に完了したA室は2回目の接地の分。
B室は1回目の接地分。
1回目は長い間姿勢が不明で
ズリズリ不規則に接地した可能性があるらしいので期待も大きいようだ。



「はやぶさ」の地球帰還に使った計算式の中のπを「3.14」で計算した場合と「3.1415…(小数点以下15ケタ)」で計算した場合を比べると15万km位の誤差が出るらしい。それでは地球の直径は約1万kmなので当然地球にサンプルが届かない。恐るべし「π」(2011年5月4日放送NHKテレビ番組「しびれる~」より)。



いよいよ「はやぶさ2」は2014年の打上げ予定に決まった。
2018年に目的の小惑星に到着しサンプル採取予定。今度の小惑星は炭素質に富んだC型の地球近傍小惑星(暫定名1999JU3)。
2020年に地球にサンプル到着予定。



2011年6月8日(日本時間早朝)、カザフスタンのバイコヌール基地からロシア製ソユーズ宇宙船で古川聡飛行士を含む3名がISSに向う。古川飛行士はISSに約5ヵ月間滞在・活動し11月頃帰還予定。
幼虫の起き上がり
ナミアゲハの幼虫が
日光がカンカンと照りつける時に
上半身(幼虫の上半身って?)を思い切り起こした格好になる。

半身

直射日光が強くて
当たる面積を少しでも小さくしているのか?、
乗っている葉が熱くて少しでも接触面積を減らしているのか?

身体の構造上、ペタリとくっつくタイプではないので
葉の裏側に逃げられない。
タマネギの玉が膨らんで来る
5本あるタマネギの内の1本が倒れつつある。

曲がるたまねぎ


ネット情報を見ると、
それが収穫のきっかけと書いてあるが
まだ玉が小さ過ぎる。
大丈夫か。ちょっと様子見状態。

下の写真のタマネギは比較的大きい方。

たまねぎ


たまねぎしずく葉の上のしずく



(※前回記事/2011年4月30日
綿 毛
タンポポ。

語源はタンポ槍などと同じくタンポ穂なのか。
「たんぽ」とは短穂または打包と書くらしい。
拓本を写し取る時の道具。
ドイツ語でもタンポンという語がありほとんど同じ仕組みのものを指す。
全く関連性はないと言われているが、
偶然の一致にしては近過ぎないだろうか。

たんぽぽ
スイカ双葉
プロペラのよう。

すいか


(※前回記事/2011年5月13日
ゴーヤ開始
まずタネを4月1日に蒔いたが1ヵ月半経つのに芽が出ない。
適期が過ぎてしまうのでタネを諦め、苗方式に切換える事にした。

昨日近くのホームセンターでゴーヤの苗3本購入。
@198×3本。
コンテナにすぐ植えた。

ゴーヤ3本

ゴーヤ品種
東側のふもとから見上げる
東街区オフィス棟イーストタワービルも外観がほぼ出来上がる。

スカイツリー
親戚からの宅配便
房総半島の南端近くに住んでいる親戚から季節の食べ物が届いた。
そら豆と夏みかん。

そらまめその一部

皿盛り旬でおいしかった
スイカの植替え
出て来たスイカの芽2本を植替え。
苗床用のビニールポッドから発泡スチロールの箱に。

すいか1ビニールポッド

すいか2発泡スチロールの箱



(※前回記事/2011年5月8日
かすかに葡萄の匂い
この時期になると
葡萄の木の近くに寄ると
そこはかとなく葡萄の匂い
(グレープジュースの匂い)
が漂って来る。
贅沢な感じである。

新しい蕾みは今のところ5~6房出ている。
その中のひとつ。
ぶどうつぼみ
オオムラサキツツジ満開
毎年の繰り返し。

おおむらさきつつじ


(※前回記事/2011年5月2日
カスミソウ(霞草)最初の一輪
これからどんどん咲き始めるだろう。
ウチのは一重咲き。
八重の方が一般的かも知れない。

かすみそう



(※前回記事/2011年5月4日
ナミアゲハ孵化
5月6日掲載の卵とは別の個体。

孵化後1~2日。
体長3mmくらい。

アゲハ孵化
やっとスイカの芽が出た
4月1日に種蒔きしたがその後全く気配が無かったので
ほぼ諦めかけたが、ふと見たらやっと芽が出ていた。

すいか


(※前回記事/2011年4月1日
葡萄若葉
鉢植えとは言え、今季もこんもりと葉が繁って来た。
夏には強い日差しを少しでも遮ってくれる。

葡萄若葉
ナミアゲハの卵発見
また今年もアゲハの季節が始まる。

わが家の柑橘系の木はオレンジと甘夏(いずれも実生からの鉢植え)。
その葉に昨日産みつけられた卵を複数発見した。
直径約1mm、淡黄色。

アゲハ卵
ゴミ焼却場煙突とスカイツリー
カスミソウ、蕾みが出来る
ここまで来ればもう開花まで秒読み段階。

かすみそう


(※前回記事/2011年4月10日
グリーンを愛でる猫
何を考えているんだ。

グリーン