普段のズボン(その2) 2014年08月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
クロアゲハ(黒揚羽)
蜜吸いの時も
一時として翅の動きが止まらない。

くろあげは
食べ物の日常
夏はゴミを出す時のビニール袋が重い。
スイカの皮が入っているから。



パンダって竹を食って口の中に竹のトゲトゲが刺さらないのか。



ポップコーンってアメリカ人にお似合いのガサツな食べ物だ。



外食の時、奥歯に物が挟まってなかなか取れない時がある。
舌や楊枝を使ってもうまく行かない。
なんか非常に収まりが付かない。



今売っている食品はなかなか腐らずカビない。
パン、豆腐、練り物…。
相当、防腐剤や防かび剤が入っているんだろう。



空腹状態で食事がしたいものだ。
間食して中途半端になってしまったら肝心の食事がおいしくない。
旅館に着いて部屋にウェルカムスイーツ的なものが置いてあって、
そんなもの食べてしまったら夕食の悦楽度が半減。



ベーグルってどうもそれほどおいしいと感じない。



買う物が一つか二つだとメモを書かずにスーパーに行く。
5~6品買って意気揚々と帰宅するが肝心の物を買い忘れている。



チューブ入りの市販のワサビやカラシだけど、
“辛い”というより必要以上に“刺激痛”に近い味覚。
本物のワサビをオロして食べるとそんなに辛くない。
むしろ微妙に甘みさえ感じる。
ではあのチューブ入りの中身はなんなんだ?
純粋なケミカル物質に思える。なんだかコワい。
別件だがこれらのチューブは完全に使い切るという事がない。
気が付くと半年くらい賞味期限が切れている。



刀削麺って最初に湯に入った麺と最後に削った麺では
茹で加減にバラツキが出来ると思うがどうなのよ。



「チン」するだけですぐ食べられる市販の“ご飯”。
どうしても容器のプラスチック臭がご飯に移っている。
非常食としては合格だけど日常食としては惜しい。



“黄ニラ”ってスーパーで見ないと思ったら高くてあまり売れないから普通は置いてないんだね。
(少なくともわが家の近所のスーパーには無い)



切れない包丁は困るが、切れ過ぎる包丁も使いにくいもんだ。



立食い蕎麦屋のセットのミニカレーで片栗粉使い過ぎで糊状になってるのがある。
舌切りスズメになった気分。



大昔、名古屋で“きしめん”のモリを食べたけど途中で飽きて来た。



スーパーで昼の弁当を買って帰宅してからチンしたら
容器が大きくて角が引っ掛かって回らない。
仕方なく取り出して四隅をハサミで1cm位切ってから目的を達した。



餃子を買って来て電子レンジで温めて食べたがなんか変。
餃子のおいしさを感じない。
でもとにかく全部食べた。
その後よく考えたらこの餃子は生餃子だったんだ。
温めた程度じゃ完全に火が通っていなかった訳だ。うわっちゃ~。
ゴーヤカーテン
今朝の雨
昨日の朝からぐっと涼しくなった。
今朝も雨で涼しい。

雨
外環道 2014年8月 (bバージョン)
パソコンってなかなか100%使いこなせない。

誤って捨ててしまったと思われた外環道の一部ファイルが見つかったので
外環道動画の別バージョンを作った。

昭和三十年代は遠すぎる(4)
トロリーバスが走っていた。
道路の上に張り巡らされた架線から、車体のポールを通じて電気を取る。
たまに架線からポールが外れてしまう時があるが、
車掌が降りてポールに付いているロープで引っ張って架線に嵌め直す。
ポールを架線に接触させる時にバチバチと火花が出た。
トロリーバスはみんな男の車掌だった。


普通の乗り合いバスはボンネット型だった。
車内には女性の車掌さんがいた。
揺れる中で倒れないように足を踏ん張りながら切符を売っていた。


今のように交通信号が全部の交差点に有ったわけではないので、
真ん中に交通警官が立つ台を置いて「手信号」で捌いていた。


カメラがフイルム式だったので「まだ枚数が残っているから」となかなかDPE屋に行かず、
春に撮った写真が秋に出来上がるなんて事が有り勝ちだった。


『少年』という月刊漫画雑誌を毎月読んでいた。
「鉄腕アトム(手塚治虫)」「ナガシマくん(わちさんぺい)」「鉄人28号(横山光輝)」「矢車剣之助(堀江卓)」「ストップ!にいちゃん(関谷ひさし)」「サスケ(白土三平)」などが連載されていた。
本誌の他に別冊付録がたくさん付いていた。


エレベータに乗るのはデパートに行った時くらい。
特に下りる時は胃のあたりが気持ち悪くなるような“降下感”が有った。
今のエレベータで感じないのはエレベータ自体に技術革新があったのか、
ただ単におとなになったからなのか。
同じような事で、なんかの拍子にタクシーに乗った時、
当時の道路は凸凹で、その段差でひゅっと“降下感”に見舞われると
ゾワゾワとミゾオチが気持ち悪くなった。


昔の町の映画館はだいたい「3本立て」。
フイルムを近くの館と共同で使い回すので上映が済んだ分から
次の上映館に自転車で運び屋が運ぶ。
長い間には「次のフイルムがまだ届かない!」なんて綱渡りの危機があったんじゃないだろうか。


銭湯で、今はロッカーになったが昔は“衣類籠”だった。
衣類を竹籠に入れて板の間の隅に置くだけだった。
銭湯で越中フンドシや六尺フンドシをしているおジイさんを
以前は見かけたがさすがにもう見ない。
(東京の銭湯は7月から460円になる見込み。現行450円)


小学校の頃集団で注射をする時、1本の注射器で5人位打ったね。
今の基準だと危なかった。
昔は注射器も針も煮沸消毒して使っていた。
今は全部一回こっきりの使い切りでしょ?


仕事帰りの“おじさん労働者”が酒屋でちょっと一杯。
酒屋のオヤジが樽の口から升(またはコップ)に注ぎ、
終わるとキュッと木の栓を閉める。
フトコロが許せばシャケ缶をつまみに。
缶ビール自販機もワンカップも無かった時代。
そういう酒屋での立ち呑みを“角打ち(かくうち)”と称するとは
オトナになってから知った。


昭和32年、谷中の天王寺五重塔が焼けた(男女の放火心中)。
露伴の小説『五重塔』のモデルだった。
関東一高い塔(約35m)だったが、今は礎石だけ残って更地のまま。


“お化け煙突”は当時の下町名物だった。
千住桜木町にあった東京電力火力発電所の4本煙突。
平べったい菱形のレイアウトなので見る方向によって1~4本に変化した。
輪切りにした記念モニュメントが尾竹橋際の帝京科学大学千住キャンパス敷地にある。
お化け煙突 当時の平面図




(※前回記事/2014年8月20日
外環道 2014年8月
しっぽ猫
身を隠せるところが好き。

しっぽ猫
『宇宙展 2014』 幕張にて
炎暑の中、幕張まで行って来た。

真夏の水元公園
先日、外環道を端から端まで走ってみた。
もちろんまだ全線完成ではないから出来上がっているルートだけ。

東の端の三郷南を下りると延長工事中の様子が見られた。
松戸の水戸街道まで繋がればそれなりに便利だけどまだまだ期間が掛かりそう。

下の道を走ると水元公園の脇をかすって通る。
炎暑の公園、木立ちがシルエットに。

水元公園
昭和三十年代は遠すぎる(3)
~ひとびと~


今思うと自分でも「本当かよ?」と思うけど
昔昭和30年前後、いろんな“人”が来た。
ウチは店屋だったから
一般の仕舞屋(しもたや)より敷居が低かったのかも知れない。


たとえば<虚無僧!>。
時代劇かよとツッコミを入れたくなるが
本当にあの格好だった、円筒形の編み笠に尺八。
なにか口上を言う訳ではなく、いきなり尺八を吹き始める。
「結構です」と断ると一礼して何も言わずに去って行った。


似たタイプでは饅頭笠を被った托鉢僧。
喜捨を頼りに諸国を修行して回っているのか、
ただの融通坊主なのか素性は知らない。


古風な本来の三河万歳の二人連れも来た。
いきなり店の前に立ってマンザイを始めるシュールさヨ!
「ボケとツッコミ」のマンザイの原型。
太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)が鼓を打ちながら丁々発止のセリフのやり取り。
古式なセリフなので何を言ってるのか分からない。
たぶん「豊年満作」「家内安全」のめでたいなメデタイナ的な内容。


猿回しも、ちょっとした空地でいきなりやり始めて
人だかりがしてひと通り芸をやってお金が多少集まると撤収してどこかに去って行った。


正月は近所の鳶の親方の若い衆たちが獅子舞とハシゴ乗り。
町内の辻々を回った。
鳶口で四方八方からハシゴを支えて、そこをおニイさんがトントントンと登って行く。
少し傾いたりすると微妙に調節したりする。
上で演技をすると「あ、落ちる!」とハラハラさせられて固唾を呑んで見ていた。


越中富山の置き薬。
同じ人が毎年来て消費した薬を補充して行く。
四角い紙の薬袋が柱に掛けてあった。
風邪とか腹痛とかくらいしか使わなかったと思うがそんなので商売になっていたのか。
子供たちへの景品で紙風船をくれた。


町会から「日掛け」の箱が毎日回って来た。
もしかしたら店屋だけだったかも知れない。
取っ手が付いていて少し長めの長方形。
現金を扱うので小さい南京錠が掛けてある。
小さい間仕切りがあり各戸別のお金の入れ口が開いている。
毎日一定の少額を入れて次の家に回す。
いくらだったかは思い出せない。
確か紙幣(十円札?、五十円札? 百円札?)を畳んで入れたような気がする。
「差し込み用ヘラ」が紐でぶら下がっていた。
ガラスが嵌め込んであり入れたか入れないかが見える。
何のためだったのか。祭礼などの積立費用か。
それとも「無尽」あるいは「頼母子講」というものだったのかも知れない。


上野や浅草の盛り場では「蝦蟇の油」の香具師。
マムシが入っているという袋があって、セリフの端々に匂わせるが
結局最後までマムシは出さなかった。
無毒の蛇に腕を噛ませて蝦蟇の油で治療するケースは見たような記憶がある。
ホクロを取るパフォーマンスもあった。
記憶が混ざっているので、ホクロ取りは別の薬かも。


とにかく今から考えると恐ろしくも隔世の感あり。
善哉、善哉。



(※前回記事/2014年8月10日
電車は今日も 5 (音量ご注意)
宇宙ヨット「イカロス」 1,550日
打上げから1,550日。

状況発表が薄いので詳細不明。
どうやらまた4回目の冬眠に入ったように思われる。
3回目の覚醒の状況についての説明が待たれる。






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<その他のサイエンスニュース>







「ひまわり8号」が2014年10月7日、H2A-25号機で打ち上げられる予定。



2004年にESA(欧州宇宙機関)が打ち上げた彗星探査機「ロゼッタ」が
2014年8月に目的の彗星に到達。
彗星の名はチュリュモフ・ゲラシメンコ。
送られて来た写真には彗星の表面が鮮明に捉えられている。
これまでにない高解像度画像だ。
これから1年余り10㎞の高度で周回し詳細な地形図を作製する予定。
2014年11月11日には着陸機「フィラエ」を軟着陸させる予定。
重力が小さいのでモリを2本打ち込んで固定させる。
成功すれば表面からのパノラマ写真が送られて来る。
氷の表面を掘削し分析して有機物の有無なども調べる。
(ナショナルジオグラフィックなどを参考)



月の深部が高温らしい事を国際研究チームが解明。
内部の温度は1,030~1,630度と見られる。
地球の引力で月の形が変動しその変形で発熱する。



<米国におけるISSとの次世代有人往還機計画>
スペースシャトルが退役した今、有人往還はロシアのソユーズに頼るしかない現状である。
ソユーズの座席を確保するには米国は巨額の費用分担をせざるを得ないし
当然完全には自由が利かない。
しかもウクライナ問題で国家間の政治マターがISSにも影を落としてくる。
一刻も早く米国の次世代往還機を実用化しなければならない。
NASAも予算の制約が厳しくなったので
天体科学ミッションに重点を置いて受け持ち、
ISS関連は民間企業にもかなり協力してもらう姿勢だ。
現在次世代往還機は民間4社に計画がある。
その中の「ドリームチェイサー(シェラネバダ社)」にJAXAが協力する基本契約がなされた。
スペースシャトルとの大きな違いは打ち上げ時の機体の位置。
ドリームチェイサーはフタ回りも小型なので、ロケットのアタマに乗せる。



2014年7月28日発表。
NASAの火星探査車「オポチュニティ」が走行距離記録を更新。
火星で40㎞。
これまでは月面でソ連の探査車「ルノホート2号」が39㎞。



いよいよ次世代大型望遠鏡「TMT(口径30m望遠鏡)」の建設が2014年中に開始される。
参加するのは日本、米国、中国、カナダ、インドの5カ国。
場所はハワイ・マウナケア山頂域。
主鏡を構成する492枚の分割鏡(交換用を含めると574枚)の鏡材はすべて日本で製作される。



2014年7月23日NASA発表。
2012年の太陽風であやうく地球文明は大損害を受けるところだった。
かすめて直撃はしなかったので助かった。
もし直撃を受けていたら人類文明が18世紀に後退しただろうとの事。
広範囲の停電を引き起こし、GPSや水道まで電力に依存する大半のものの機能が停止する。
これまで知られている最大規模は1859年のキャリントン・イベントと呼ばれている。
今後10年以内にそれと匹敵する規模の太陽風が直撃する確率は12%との事。
想定被害規模は200兆円。



NASAが放棄した探査機を民間チームが復活させるか?
1978年に太陽風調査などの目的で打上げられたISEE-3という探査機は
1997年に運用が終了し太陽を回る軌道上で放置されていた。
2014年5月天文愛好家らがこの探査機と交信に成功。
資金をクラウドファインディングで16万ドル(約1600万円)獲得し、
NASAから承認を得て軌道制御操作を試みる。
民間グループが地球軌道外の探査機を制御するのは史上初。
(ナショナルジオグラフィック)


(※前回記事/2014年6月29日
道 猫
堤防の花
隅田川さくら橋辺りの台東区側堤防から。

堤防の花
アラカシ(?)も新しい葉が出始めた
河津桜が伸び始める
ずっと寸詰まり状態が続いていたが
最近やっと伸び始めた。
これから秋に向かいどう変化するか。

河津桜


(※前回記事/2014年6月2日
鹿の子百合
朝夕が少し涼しくなったような。

かのこゆり
窓 犬
今朝起きたら
昨夜の台風11号通過の余波の強風で
ベランダスイカが台から落下して割れていた。
残念。
ヒゲ蔓の枯具合などから見て収穫にはまだちょっと早かった。
受粉から38日。
測ってみると重さ2.4kg、長径17cm。

端を食べてみたらそこそこ甘い。
これならまあ食べられる。
黒いタネもあるので来年“ひ孫スイカ”が期待出来るかも知れない。

割れたスイカスイカ断面


(※前回記事/2014年8月4日
昭和三十年代は遠すぎる(2)
大晦日の晩は、元旦から新しく下ろす足袋や下駄を枕元に置いて寝た。


缶に入ったサクマドロップをカラカラ振って残っているか確認。
子供には白いハッカ味は苦手で最後まで残った。最後には食べたけど。


練炭 練炭。
蝿取り紙。蚊帳。
呼び出し電話。
電蓄。
シャンプーは無かった。
当時のトースターって食パンを手で上げた。
七輪、火鉢。
真空管ラジオ。当時のラジオドラマで松島トモ子の『アパートちゃん』なんて知ってる人いないだろな。


小学校の頃、切手コレクションが流行って集めた。


上の歯が抜けたら縁の下に、下の歯は屋根に投げた。
「イイ歯が生えろ」と言いながら。


南米移民の人たちが希望と不安を抱えながらぶらじる丸で出航した。
あるぜんちな丸という船もあった。


当時の自動車は曲がる方の方向指示器が
手信号のように「パタン」と突き出たね。


南極でタロ、ジロのカラフト犬が生きていた。


小学校で外側に砂糖がまぶしてあるグニュグニュしたグミ状の肝油が配られた。
わら半紙を小さく切ったのが皿代りだった。
その後小さなガラス瓶に入ったヤクルトも飲むようになった。


房総半島の先端付近にある母方の田舎へ行く時は両国から内房線のSLで行った。
ホームにいる時汽笛が鳴ると飛び上がる程大きな音だった。
トンネルに入ると窓を一斉に閉めた。
煙突からでる煙は独特の匂い。
着いた先には当時茅葺屋根の家がまだまだあった。
泊ると南京虫に悩まされた。


小学校に上がるか上がらないかの頃、ある日大井町にあった親戚の家に行った。
母の姉にあたる人の家だ。たまに行く親戚訪問だった。
その時は母とワタシと弟の3人で行った。
わが家は乾物屋をやっていて、当時の商店は盆と正月くらいしか休まなかったから
父は他の店員と一緒に店番をしていた。
母はまだ幼児だった弟をネンネコで背負ってワタシの手を引いていた。
乗ったのはチョコレート色の省線電車。
座席に座っていると向かい側に座っていた進駐軍のGIが、
(あの畳むと長方形になるGI帽子をかぶっていた)
手に持っていた“ジェリービーンズ”をワタシにくれようとした。
いかにもアメリカのお菓子で鮮やかにカラフルだった。
ワタシは外国人なるものを見たのは当然初めてで
どうしてよいか分からず、脅えておかーちゃんの方を見た。
母もどうしてよいか分からずとりあえず貰っておくしかないと
「ありがとうと言いなさい」。
仕方なくおずおずとワタシは手を出した。
GIは袋ごとくれた。
ワタシは強張った表情のまま小さく「ありがとう」と言った。
親戚の家に着いてからその事がひとしきり話題になった。



(※前回記事/2014年8月1日
アブラムシとアリの共生
興味深い。
アブラムシの排泄物は甘い液体で、それをアリがもらう代わりに
アブラムシの天敵(テントウムシなど)から守るといういわゆる“ウィンウィン”の関係らしい。
見方によってはアリが牧畜をしているとも言えるとか。

アリとアブラムシ
日常階段 3 (音量注意)
建設ラッシュ
建設ラッシュ

東京は相変わらず建設ラッシュだ。
オフィスビルもマンションもホテルも。
大型開発には商業施設も付随する。

需要と供給のバランスは大丈夫なのか。
本当のところは誰にも分からないのではないか。
“マーケティング”などというもっともらしいデータを
“信じたいから信じる”状態なのではないか。

建設労働者不足。
資材不足。コスト高騰。
それだからと言って安直に外国人労働者を入れると混乱の元。
欧州諸国は既にその問題が顕在化している。
風鈴ディスプレー
八重洲口のグランルーフで。

風鈴ディスプレー
フェリックス・ヴァロットン
ヴァロットン展

先般のNHK「日曜美術館」で<フェリックス・バロットン>という画家を知った。
今まで知らなかったのが残念に思うほど“イイ”。
好みだ。ワタシの嗜好に合致する。

百年前の作品なのにモダン。
現代で充分通用するイラストレーション。
感覚が鋭い。

スイス生まれで後にフランスに渡った。
当時の風潮と同じく日本の浮世絵に影響を受けた。
木版画にも類いまれな才気を発揮した。


展覧会が開かれているので行って来た。
『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』
(※NHKではバロットンと表記していたが展覧会ではヴァロットンと表記している)


三菱一号館美術館

会場は三菱一号館美術館。入館料1,600円。
作品も良いが、何よりもこの美術館が良い。
初めて入ったがなかなかクラシックな佇まいで好感。
文明開化の丸の内三菱村の名残りの煉瓦造り。
1894年竣工。ジョサイア・コンドル設計。
1968年解体。
2009年復元竣工。

ついでに久し振りに大手町や丸の内を歩いたが高層ビルが
どんどん増え、一帯のソフィストケートにも磨きがかかった。
スイカの蔓のひげ
直径約15cm。

すいか


(※前回記事/2014年7月15日
猛暑日
射るような太陽光。

太陽
真夏の花