普段のズボン(その2) 2014年11月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
ネリネ
ねりね

ヒガンバナ科で南アフリカ原産。
11~12月開花。

冬らしくない花の容姿なので出合うとドキッとする。
ドングリ(コナラかクヌギ)の落ち葉
二つある内の小さい方の鉢。
冬に近づき葉が枯れてポロポロ落ちたのを集めた写真。

枯葉色というのは“自然”で趣がある。

どんぐり葉
わが家のツバキ、狂い咲きか
わが家のツバキはプラスチック樽に植わっている。
区から今は亡き父が苗木でもらって来たもので
それからもう30年くらい経っているのではないか。

地べたに植わっていないので大きくさせられず
幹は太くなるが樹形は一定の大きさより大きくしない。

そんな事もあってこの秋もきつ目に剪定した。
もしかして種としての存続の危機を感じたのか
早く開花させて実を付けて子孫の可能性に託す戦略に出たのか。

例年わが家のこの木の平均開花時期は3月なのだ。
たまに早く咲いて2月下旬。
ところが今季はまだ11月。
なにか解せない。

蕾みは全部で10個。

つばき


(※前回記事/2014年3月25日
3年経過の汐入タワー
年月の経過でくすんで来たが健在。

汐入タワー


(※前回記事/2011年9月16日
宇宙ヨット「イカロス」 1,650日
打上げから1,650日。

冬眠中。





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<その他のサイエンスニュース>





清水建設が2030年に実現をめざす「オーシャンスパイラル」という深海都市構想を発表。
水深3,000~4,000mの海底から螺旋形に上に伸びる形状。
都市部は水面下500mの球状部分に作られる。
海水の温度差で発電。
海底の微生物で二酸化炭素を燃料用のメタンガスに換える。
コンクリートの代わりにに樹脂を使い、巨大な3Dプリンターで建設する。  
約5.000人が暮らせる。
総工費3兆円、工期は5年と見込む。
https://www.shimz.co.jp/theme/dream/oceanspiral.html


2014年11月11日(火)南極観測船「しらせ」が晴海ふ頭から出航した。乗組員175人。
他の観測隊員60人は飛行機でオーストラリアのフリーマントルに行き合流する。
昨年は帰路座礁したが船底が二重底だったので航海を続け無事帰って来た。


ESA(欧州宇宙機関)の彗星探査機「ロゼッタ」の観測で
彗星「チュリュモフ・ゲラシメンコ」は“臭い”事が分かったと
2014年10月23日欧州研究チームが発表。
検出された分子にはアンモニア、メタン、硫化水素、シアン化水素、ホルムアルデヒドなど。
表面は予想よりゴワゴワ、ゴツゴツしている。
*
そして「ロゼッタ」から、着陸機「フィラエ」が投下され2014年11月13日未明(日本時間)彗星に着陸した。
彗星は重力が極めて小さいため安定して着陸するのはなかなか困難。
着陸時にガスジェットで機体を地表に押し付けてから杭を打ち込んで安定させる予定だったが
ガスジェットが噴出しなかったので杭を打ち込めなかった。。
そのため2回バウンドし予定地点から2㎞くらい離れた不安定な場所に降り、太陽の光が少ししか当たらない模様。3本ある脚の1本は宙に浮いているようだ。バッテリーは2日半くらいしかもたないので一時的に休眠状態になった。
休眠前に地下サンプルを採取のため、転倒リスクを負いながらドリルを稼働させて2cmくらい掘ったがその分析は出来なかった模様。
姿勢を変える指示を出して太陽光がパネルに当れば復活も有りえる。
親機の「ロゼッタ」は健全を保ち彗星の近くを航行中。


2014年10月31日、試験飛行中の「スペースシップ2」が墜落し、操縦士が負傷、副操縦士が死亡した。
「スペースシップ2」は世界初の商業宇宙飛行を目指して、ヴァージン・ギャラクティックが開発中で既に予約者が約700人(内日本人19人)いるらしい。
計画では乗客6人、乗員2人で4分間の無重力体験が出来る予定。
母機に吊り下げられて空中からロケットエンジンで離れ、高度100kmに達し大気圏に再突入する。
所要2時間の内4分間の無重力体験で25万ドル(約2800万円)はまだまだ高額だ。
今回の事故は新たな燃料に切り替えた事が原因の可能性もありそうだ。
俳優岩城滉一さんは別会社の宇宙旅行に予約し、費用(約930万円)を支払済だがまだ延期状態で実施の予定が立っていないようだ。


2014年10月29日(日本時間)、ISSへの無人輸送機「シグナス」を載せて打ち上げられたアンタレスロケットが打ち上げ6秒後爆発し炎上した。
ISSに設置される予定の千葉工大の流星観測カメラ「メテオ」も搭載されていた。
その後の一説では「制御自爆」だったという話も。
予定の軌道に乗らないと判断されたので不測の地点に落下するのを防ぐための処置。
ロケットの1段目に使われていたエンジン“NK33”は
もともと旧ソ連が月に宇宙飛行士を送る計画のために40年以上前に製造されたものだ。
使われずお蔵入りしたが、なぜかアメリカの民間会社が格安で買い取って
流用される事になった。もちろん経年劣化分はリニューアルされているようだが。


2012年12月に打上げられた米空軍の無人宇宙往還機X-37Bが
2014年10月17日(米太平洋夏時間)3回目のミッションを終えて
空軍基地の滑走路に着陸した。
飛行期間は22ヵ月で、目的や内容は明らかにされていない。


2014年10月7日、直径30mの超大型望遠鏡「TMT」の起工式が建設反対派の妨害で中止になった。
日本など世界5か国の共同プロジェクトでハワイ島マウナケア山頂付近が予定地。
「聖なる山に人工物を増やすな」という主張。
限定的な行動なので本体工事への影響はないとみられている。


気象衛星「ひまわり8号」が2014年10月に打ち上げられたが、
同じ仕様の「ひまわり9号」が2016年に打上げられ
「運用と待機」の2機態勢になる予定。
3万6千km上空の静止衛星軌道から日本周辺の気象を見守る。


(※前回記事/2014年10月7日
ロケットこぼれ話
昨日のテレビで「フェアリング」を後で回収している事を知った。
水に浮くそれなりに大きな物体だから船の航行に支障が出るので
国際ルールにより回収が決まっているそうだ。

ロケットの先頭部分に衛星なり探査機なりが乗せられ
猛烈な風圧からそれらを守るために覆い(フェアリング)が掛けられている。
ピーナツを守る外側の硬い殻のようなものである。
大気圏を抜けると不要になるのでパカッと割れて落下する。
予測地点は種子島射場から約1,000㎞沖合い。

船と飛行機がタッグを組んで見つけ回収する。
本来はフェアリングから電波を発信して見つけ易いしくみになっているのだが
この時は電波が不具合で出ておらず人の目で捜した。

飛行機が見つけ回収船に位置を指示するのだが
船がその場所に着くまでの間に海流で位置が変わっている。
海流を予測しさらに捜す。
本来は二つなのだが、落下のショックで5~6片や10片くらいに割れるようだ。

四国がすっぽり入るほどの広さの海域で
数メートルの物体なのでなかなか大変だろう。
二日間で無事に回収出来た。
お疲れ様です。
11月30日 『はやぶさ “2”』 打上げへ
「初代はやぶさ」は数々のトラブルを奇跡的に乗り切って
地球に小惑星「イトカワ」の微粒子を届け
本体はオーストラリアの夜空に華々しく消えた。

持ち帰った微粒子はわが国の研究機関はもちろん、
各国の希望研究所にも配布され様々な解析がなされている。
微粒子は全部で400数十個らしい。
最大の微粒子で0.31mm。
既に関係の論文が数百本出ているそうだ。
まだ解析は完全には終わっていない。
この10年で微粒子の解析技術が急激に進歩して
目に見えないような微細な砂粒からでも豊富な知見が得られるようになったそうだ。

当然次の「はやぶさ 2」への期待が高まったのだが
事業仕分けで一時は計画がつぶれるところだった。
民意の後押しでどうにか息を吹き返しここまで来られたのは喜ばしい。

中には「もったいない! もっと身近な所へお金を使え」という声もあろうが
一国の予算というものは微視的なものと巨視的なものと
「いい塩梅」に配分する事が健全だ。
100年先、1000年先を見る遠い目も持たないと人類自体がおぼつかない。

地道な努力による科学的知見がどんなに画期的ブレイクスルーをもたらすか分からない。
今日明日の“パン”も必要だが、同じくらいに好奇心も“知的なパン”なのだ。




●目的地のC型小惑星の名前は「1999 JU3」。
打上げられてから前回の「イトカワ」のような愛称が付けられると思う。

●探査機のサイズ
初号機とほぼ同じサイズ。
初号機を打ち上げた時のロケットはM-V(ミューファイブ)という固体燃料の中型機。
今回のロケットはお馴染みのH2-Aという液体燃料の大型機。
したがって本来もっと大きなサイズの探査機を乗せられるのだが、
またゼロから探査機を設計するのは10年以上掛かるので「在版訂正」が妥当な次善の策だった。
サイズはほぼ同じでも内容はかなり改善・改良・新規機構付加されている。
※というわけでカーゴスペースに余裕があるので各大学の小型衛星を3機相乗りさせる。

●帰還予定
2020年に帰還し地球に土壌カプセルを落し、本体はまた更なる旅に出る。




小惑星に下ろす「ターゲットマーカー」に応援メッセージが記録される試みがあって
2013年7月にワタシも登録したので、小惑星にワタシの名前も含め数万人の名前が何億年か残るでしょう。



はやぶさ2 ←はやぶさ 2
※図版は「ご自由にお使い下さい」と表示されているあるサイエンスブログから転載。
http://spacenuclear.jp/
建設進行中
先日(2014年11月18日)の記事のマンションを別の角度から見る。

手前の京成線高架工事も進行中。

マンション
電車は今日も (8、9)
枯葉の穴
今季一番の冷え込みと聞く日が増えた。

枯葉の穴
何スか?
近所の猫。
2階にいたら真下に来たので声を掛けたら見上げた。

ねこ
日 没
空の高い所はまだ青さが残っているが、
下の方の雲には暗さが漂って来ている。

暮れるのが早い。

日没
進捗状況
建築中のマンションが少しずつ積み上がって行く。

素人考えだが、建築方法には大別して
鉄骨タイプと鉄筋タイプがあるように思う。
高層ビルは鉄骨タイプで、低層ビルは鉄筋タイプだろう。
うしろに見える二つのマンションは鉄骨タイプだったが
ほぼ同じ高さなのに建築中のマンションは鉄筋タイプだ。

30階弱が工法の境い目なのか。
一長一短で施主の判断のしどころなのか。

建築中


(※前回記事/2014年10月28日
ペット
昨日所用で高速に乗った。
途中パーキングエリアにトイレとコーヒーで寄る。

クルマを降りてトイレに向かおうとして
ワイパーに繋がれている「大き目の犬」を見た。
「ん?」なんか違和感があったので見直したら
「ヤギだ!」。

ちゃんとヒモで繋がれているのでペットなんだろう。
珍しいので一応写真を撮っておこう。

用を済ませてもう一度通りかかったらもうあのクルマがいない。
もちろんヤギもいない。
跡形もない。
もしかしてあれは幻を見たのか。
白昼夢?

いやいや写真を撮ってある。
デジカメを確認したらちゃんと写っている。
やっぱり現実だ。

帰宅してから落ち着いて写真を見たら
車内にネコもいる。
どんなドライバーだったのかな。

やぎ
ツワブキ
この季節、この黄色が目立つ。

つわぶき
秋の林
昨日から冷え込んで来た。

ストーブもコタツも出す頃合いだ。
今のところ未だだが。

秋の林
昔の車両
都電の懐かしい車両。
荒川遊園に展示保存。
正式には「東京都交通局6000形電車」というようだ。
愛称はヘッドライトがひとつなので「1球さん」。
前面の塗り方は金太郎の腹掛けに似ているから「金太郎塗り」との事。
鉄ちゃんはいろいろ考えるね。

都電車両
枯葉歩道
晩秋から初冬に。

枯葉歩道
お酉さま
昨日快晴に誘われて自転車でブラブラした。
三ノ輪の辺りから南下したら人が大勢歩いている。
「ん?」と思って考えたら「あ~、お酉さまかぁ」

そこは浅草の鷲(おおとり)神社(台東区千束)の周辺だった。
国際通りをゆっくり進むとお酉さまに行く人々がぞろぞろ歩いている。
既に熊手を買って担いでいる人もチラホラ見かける。
さすがに今でも人を引き付ける行事なんだと感慨深い。

お酉さま1お酉さま2お酉さま3


小学生くらいの頃(半世紀以上前)に父に連れられて一度来た事があった。
たしか夜だったが物凄い群衆の多さで、とにかく迷子にならぬように父の手をぎゅっと握って
流れのままに歩いただけの記憶が残っている。
どういうルートで行って帰って来たのかさっぱり覚えていない。
モンシロチョウ(紋白蝶)
季節的にもう最後の蝶か。

もんしろちょう
ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)
伊豆大島
たぶん高校2年の時だったか、ワタシを含め4人で伊豆大島に行った事があった。

一応事前に先生に根回しをしておいた方がよいとの判断で、
ワタシを含めた3人で先生のご自宅にお邪魔をした。
お昼をごちそうしてもらう魂胆で昼前に行った。
先生のご家庭はそれなりに余裕があるらしいという
情報があったので特にうしろめたい意識は無かった。
予想通り、天丼の出前を取ってくれた。
そして「気をつけて行って来なさい」の許可をもらった。

某月某日4人は竹芝桟橋から東海汽船に乗る。
夜遅く出航して早朝に大島に着く。
夜中に時間調整で途中の海上でしばらく停泊したっけ。

伊豆大島

大島ではバンガローのような所に一泊して自炊だった。
三原山にも登った。
観光の馬方が馬に乗らないかと声を掛けて来たが乗らず。
大きな火口は深く、所どころから小さな煙が立ち上っていた。
硫黄のにおいも風向きにより薄く漂う。
4人は火口底に向かって並んで立ち小便をした。
帰り掛けに振り返って見たら立ち入り禁止の看板があった。
「うひゃ」気が付かなかった。

帰りの船は波のウネリでかなり揺れて、完全に船酔いになり嘔吐三昧であった。
ま、セーシュンの1ページだったな。
1965年くらいの話。
東京港野鳥公園
昨日「東京港野鳥公園」に行く。

看板

以前一度隣の大田市場に行った事はあるがここは初めてだった。
平日でしかも曇りの午後なので極めて入園者は少ない。
入園して少ししてから小雨が降り始め、
止みそうにないので半分くらいで切り上げた。
次の機会にまたゆっくり見に来よう。
駐車場の入り方の道筋などが分かったので
次回はもっとスムーズに来られる。

鴨すすき


往路は首都高湾岸線の「大井南」でおりた。
帰路は首都高羽田線の「平和島」から入ろうと思ったが、
ちょっと間違えてあやうく下り線(横浜の方)に入りそうになって冷や汗。
ちょこっと回って目的の上り線に無事入る。

汐留、京橋、箱崎辺りはかれこれ15年振りくらいで走行したので
少し怖いくらいだった。
クネクネしているルートなのに回りの大型トラックがビュンビュン走るので
こちらもあまりスピードが落とせず冷や冷やだった。
小雨なのでスリップが怖い。

ま、無事に帰宅してホッとした。
ムスカリ順調
青々として勢いがよい。

むすかり


(※前回記事/2014年10月29日
ペンキ塗り
昨日快晴だったのでペンキ塗りをした。
屋根のトタン部分。
以前は2年に一度くらい塗り替えていたのだが、
この5~6年やっていなかった。

「やらねば、やらねば」と絶えず頭をよぎるのだがなかなか面倒なのでずっと先延ばしにして来た。
「もう少し涼しくなったら」「もう少し暖かくなってから」「今日は風がある」「今日は曇っている」「今日は夕方から雨の予報」…。
とにかくやらない理由をなんとか見つけていた。

夏が過ぎ、秋も深まり寒さがもうそこまで来ている。
この機を逃すとまた来春以降になってしまう。
さすがに「もういい加減やらねば」と重い腰を上げた。

ペンキ、刷毛、薄め液、ビニール手袋、軍手、古ズボン…、いろいろ揃えて
快晴を待っていた。
昨日願ったような秋晴れ。
覚悟は決めてあったのでもう後には引けない。

古いペンキを剥がすのがひと苦労。
浮き上がっている部分だけ剥がしてきれいに剥離ゴミを清掃。
この作業が時間が掛かって全作業時間の2/3。
本職はその後、錆び止めを塗るのだが素人はそこまで本式には出来ない。
直接ペンキを塗る。

作業途中、遠くから“灯油売り軽トラ”のメロディが流れて来た。
季節になると週1回売りに来る。
先週今季初めて回って来たがまだ寒くなかったのでその時は買わなかった。
今週はいつ寒くなっても対処出来るように買うだけ買っておこうと思っていたので
屋根から降りて空き容器を持って軽トラを待った。
灯油屋さんは「まだ暖かいからなかなか売れません」と嘆いていた。

改めて作業を続ける。
4/5くらいの範囲を塗ったら最初の1缶(1.6リットル)が無くなる。
ペンキを2缶買って置いて良かった。
2缶目を持って再び屋根に上がる。
あとはもう、すぐ終わった。

念願のペンキ塗りをやったという安堵感、達成感。
夕食時、いつもは缶ビール1缶なのにペンキにちなんで2缶目を奢ったのであった。

ぺんきびふぉーぺんきあふたー
(ビフォー、アフター)
ジョサイア・コンドル
英国人建築家。
1852年/ロンドン生まれ。

1877(明治10)年(25歳)/“お雇い外国人”として来日し建築学を教える。
東京駅設計に関わった辰野金吾など日本の錚々たる近代建築家を育てる。
自身も上野博物館、鹿鳴館、三菱一号館、ニコライ堂などを設計する。


ジョサイア・コンドル三菱一号館
(写真)東大本郷構内にあるコンドル銅像。三菱一号館(復元、丸の内)。


一方コンドルは絵画にも強い興味を示し、
1881(明治14)年(29歳)/コンドルは日本画家河鍋暁斎(かわなべきょうさい 当時50歳)に弟子入りをする。

 かつてNHK「日曜美術館」でも河鍋暁斎を取り上げ放送された。
 暁斎は偉大な画家で有りながら、もうひとつ知名度が低いのは
 (1)活躍が文明の激動期で江戸時代と明治時代双方から敬遠された。
 (2)画業が浮世絵と狩野派の二派にわたるため、双方から敬遠された。
 (3)酒席で戯画を描き投獄されたことが印象に残り、
 作品に品格がないと見られた。
 (板橋区立美術館館長・安村敏信氏説)
 それでも戦前までは相応の知名度だったが戦後急に忘れられたようだ。

1883(明治16)年(31歳)/コンドルは暁斎師匠から「暁英」という雅号をもらう。
1884(明治17)年(32歳)/師に付いて鎌倉へ写生旅行。
1885(明治18)年(33歳)/師らと日光へ写生旅行。
1886(明治19)年(34歳)/師から画道上達を褒められ、師の『大和美人図屏風』を贈られる。
1887(明治21)年(36歳)/コンドルのこの歳の作品に「ニシコンヤ丁 コンデエール」と文字があり、顔を刻んだ判も使っている。神田西紺屋町(現在はこの地名は無く。神田東紺屋町しかない)に住んでいたのだろう。
コンドルは正座が出来ないので寝そべって描いていたようで、その様子を描いた師匠のスケッチが残っている。
1889(明治22)年(37歳)/河鍋暁斎は子供たちやコンドルに見守られながら永眠(胃癌、59歳)。
1893(明治26)年(41歳)/コンドルは日本人と結婚。日本に永住を決める。
1911(明治44)年(59歳)/”Painting and Studies by Kawanabe Kyosai"(『河鍋暁斎-本面と面稿-』という英文の出版をして師の画業を世界に示した。これもあって暁斎の画業は日本より世界の方で知られている傾向があるようだ。
ボストン美術館他のアメリカの日本美術を所蔵している美術館は大抵暁斎作品を所蔵している。

1920(大正9)年(67歳)/コンドル永眠。護国寺に墓がある。




参考/ブログ「無為庵乃書窓」http://www.muian.com/muian04/04kawanabe.htm#03
※このブログ自体にも元の参考資料が記載してあり、ワタシの記事は孫引きにあたる。
シャモ鍋
「人という奴、いいことをしながら悪い事をする、また悪い事をしながらいいことをする…なかなか食えん奴だて」
「銕(てつ)つぁん、そこ煮えてるぜ、早く食っちめえな」
「彦十、おめぇおれの話を聞いてねぇな。せわしない事を申すでない。ゆっくり呑(や)ろう」
…軍鶏(しゃも)鍋屋「五鉄」の夜は長い。

※池波正太郎の火付盗賊改方“鬼平”について不案内な方のために言わずもがなを付記。
“火盗改メ”鬼の平蔵と言えば江戸市中の悪党たちが震え上がる人だが、
旗本の家に生まれながら若い頃は妾腹の子と義母に冷遇されたので
家を飛び出し“入江町の銕(てつ)”と異名を取る本所・深川界隈の無頼の徒だった。家督相続以前の名前が銕三郎。
下世話な世情に通じた経歴が役職になってから大いに役に立つ。
相模の彦十はその頃の長谷川平蔵を知っているので、今では平蔵の元で働いているにも拘らず二人きりの時は心安く昔の呼び方を使ってしまう。


長谷川平蔵宣以(のぶため)は実在の人物。
ただし池波が相当肉付けをして大きく膨らました結果になったので、
もはや読者にはどこまでが事実でどこまでがフィクションなのか皆目判然としない。
42歳の時、本来の役職“御先手組弓頭”に加えて
特殊警察的な性格の“火付け盗賊改め方”長官を拝命。
この組織は町奉行では手に余る凶悪犯罪に対処するために作られた。
8年で役を退き、その後すぐ50歳で死去。
有能だったがケレン味のある人だったので幕閣からの評価は様々だったらしい。
石川島に人足寄場(犯罪者の更生施設)を作って犯罪の減少に力を入れた。


とにかく池波作品は江戸グルメ的な描写も多いので読むと食欲をそそられる。
寒くなると鍋物が恋しくなりますなあ。

※冒頭のセリフはどの作品のどこの場面という訳ではなく、愛読者のひとりのワタシが勝手に“らしく”書いたものです。


(なにかを書いたらすぐアップロードしないと、
いつパソコンがこわれるかしれない恐怖感に襲われている)
パソコンが息を吹き返す
この数日パソコン問題で振り回された。
なにから書いたらいいのか整理が行き届かないが、
とにかく昨日15:30ほぼ絶望状態のWin機が「キロ〜ン」と音がして
画面が明るくなり数秒間してからバッテリーランプが消灯した。
断末魔という感じ。
スリープ状態で丸4日間経過した訳だ。
これで完全にバッテリーが切れた。

今までの“ほぼ絶望状態”というのは、スリープ状態になったまま
何をやっても起きない状態(昏睡状態と言ったらいいのか)になっていた。
何をやっても反応しない。
知ってる限りの強制終了方法を試したが無反応。
起動ボタンの長押しも効かない。

“再起動”も出来ず、“強制終了”も出来ない状態ではバッテリー切れでの終了を待ち、
“新たな起動ボタン押しでどうなるか”に極めて低い可能性を掛けた。

それで電源に繋いで新たに起動ボタンを押したら生き返った。
狐につままれた気分。
ただし、まだ挙動に充分な信頼感が置けないので
急いで重要度が高いファイルやフォルダからMac機に移す。
コワゴワ、ビクビク。
状態を様子見だ。
まだ予断を許さない。


(※前回記事/2014年10月30日
砂町銀座
砂町銀座

昨夕「砂町銀座」に自転車で行く。
よくテレビなどで紹介されるそれなりに有名な商店街。
ウチの生活圏ではないので、行くのは10年振りくらい。

長い商店街を自転車を降りて押して歩く。
夕方の買い物時なのでもっと混んでいるのかと思ったがそれほどでもない。
小売店という形態がだんだんむずかしくなっているのだろう。

買い物に来ているお客さんたちも高齢者が多いようだから
今後の見込みも光明が見えにくい。