普段のズボン(その2) 2015年11月
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
キーストック
先般、近来まれに見る失策をやらかした。
外出中に家のカギを紛失。
「うーむ」
家にどうやって入るか!

ま、その顛末の詳細は書けないが
それに懲りて予備のカギを玄関先に置いておくための“キーストック”を購入した。
万一先般のような事があっても予備のカギが取り出せて安心。

キーストック
昭和三十年代は遠すぎる(14)
子供の頃や二十歳前後の頃、内房の母方の田舎に行くと
帰りにたいてい魚の“クロムツ”を土産に持たされた。
煮物にするとおいしい。


早朝どこからか鶏の「コケコッコー」が聞こえて来た。
あ、そういえば幼児の頃わが家でもニワトリを飼っていた時期がある。
卵も産んだ。


テレビドラマ『三匹の侍』は斬新なカメラワークと効果音で画期的だった。プロデューサー五社英雄。
丹波哲郎:柴左近
平幹次郎:桔梗鋭之介
長門勇:桜京十郎
途中から丹波が抜けて加藤が加わる。
加藤剛:橘一之進
最高視聴率は42%だったそうだ。


軽飛行機はみんな「セスナ」と呼んでいた。


午後の気怠い時間に昼寝をしていると
ヘリコプターの音が聞こえる。
松田優作主演映画『家族ゲーム』でもそんな場面があった。


中村メイコの唄。
♪田舎のバスはおんぼろ車
タイヤはつぎだらけ窓はしまらない


子供の頃、外国人を見たら反射的に「アメリカ人!」と思っていた。


ウチの前は原っぱだったから凧揚げをやったが、
やっぱりいつも電線に引っ掛かった。


食べ物屋のカモイの角に板を渡して置かれたテレビのチャンネルは
客が勝手に変えないように回す部分が外されていた。


たしか小学校の頃、学校行事で映画『二十四の瞳』を観た。
主人公大石先生役は高峰秀子。


定斎屋(じょうさいや)というのが来た。
前後の抽斗箱を天秤棒で担ぐ。
江戸時代から抜け出て来たような風情。
歩く度に抽斗の鐶(カン)がカタカタ鳴る。
何を商っているのか子供の頃は知らなかったが
夏の暑さ対策の薬らしい。
昔父から聞いたが夏の暑い盛りに笠もかぶらずわざわざ日向を歩いて
「この薬を飲んでいればこのように暑さに負けない」とう所を見せているんだとの事。


いかけ屋が鍋の穴の修理に来たね。
らう屋(又はらお屋)も煙管の修理に来た。
マンサクの葉
晩秋の穏やかな日差し。

まんさく
ヒュウガミズキの冬芽
キウイ追熟
弟が庭で出来たキウイをくれた。
サイズは小さいがかなりたくさんある。
食べるには追熟が必要だそうで、リンゴ(ジョナゴールド、王林)をそばに置くと良いらしい。
スーパーに王林があったので購入しやってみる。

キウイ
押入れから漫画
子供時代の愛読誌『少年』と付録漫画。

漫画
『下町ロケット』
TBSドラマ『下町ロケット』が話題になっている。

最初の『下町ロケット』(ロケットエンジンバルブ編)は
映像の作りが大げさで、構造もシンプルで良かった。
単純明快、勧善懲悪。
ワルはいかにもワルらしくこれでもかと作られていたので、それでこそ善が際立った。
“悪”がギャフンとなって溜飲を下げる。
これぞ視聴者の好むもの。
日本人の好きなもの。

ユニークなキャスティングも成功した。
東国原英夫:ご都合主義の典型的銀行支店長。
春風亭昇太:小物感あふれる銀行の融資課長。
恵 俊彰:特許や技術系に強い弁護士。
阿藤快:先代社長時代からの顧問弁護士。
立川談春:銀行から取引会社に経理部長として出向してそこに骨を埋める決意を固める。
池畑慎之介(ピーター):敵役の弁護士。
吉川晃司:存在感をしっかり出す。宇宙航空部部長。
ナレーション:元NHKの松平定知。

『半沢直樹』(2013年)、『ルーズヴェルト・ゲーム』(2014年)のチームの
制作でこってりとした作風。
最初の『下町ロケット』(ロケットエンジンバルブ編)が5回分では
ちょっと端折り過ぎの感あり。

ところが間を置かず始まった次の『下町ロケット2 ガウディ計画』はちょっとがっかり。
(まだ1話しか放映されていないが)
二番煎じは仕方が無いものの、スケールというかストーリーが小さい。
展開が安直な“お涙頂戴”になっている。
ロケット編で期待が大きく膨らんだ視聴者にとっては
続編に対してのハードルが上がってしまったのだ。

主人公も如何に何でもヒトが良すぎる。
前回裏切って会社を辞めたヤツがどのツラ下げて再び古巣を訪問するのか。
それをまた会社を上げて歓迎している。
ありえない絵空事で感情移入できにくい。

ストーリー展開は業界が違うだけで、基本は変わらない。
水戸黄門と同じ。
飽きられるのも早いかも。

ま、ガウディ計画2話目から持ち直すといいんだけど。
少年野球
Jリーグ発足以来、子供の関心が野球からサッカーに移った。
でもまだ野球をやる子供たちもそれなりにいるのは頼もしい。

少年野球
ササクレ
昨日外出してから、爪にササクレが出来た。
右手薬指の爪の端っこが縦に小さく裂けた。
(写真はうまく写らなかった)

家にいる時であれば爪切りで余分を切り取れば問題無いのだが
あいにく出先なのでどうする事も出来ない。
何かの拍子にササクレが刺激されると「ウッ!」跳び上がるほど痛い。
次善の策として絆創膏かビニールテープでもあれば
巻いておけば帰宅するまでの間に合わせになるのだがそれも無い。

なるべく刺激しないように気を付けるしか方法が無かった。

ささくれ
水 滴
昭和三十年代は遠すぎる(13)
あのころはご飯を食べている時に“ガリッ”として
混じっていた小さな小さな石を噛んでしまう事があった。
その後、精米が進化したからそんな体験も久しく無い。



昭和31年日本山岳会隊がヒマラヤのマナスル(世界8番目の8,163m)に世界初で登頂した。
その後の登山ブームのきっかけになった。



渡辺の『ジュースの素』、渡辺の『即席しるこ』
林家三平のCM、「お餅も入ってベタベタと、安くてどうもスイマセン!」
全然ベタベタしてなくて小さな煎餅が入っていただけだったなあ。



犬は放し飼いが多かった。



寝ている姿勢から起き上がる時に、片脚を振り子のように使って
その反動で上半身を起き上がる“ワザ”をおじさんたちはやっていた。
そう言えば最近見かけない。
『男はつらいよ』でおいちゃん役の森川信がその動作をよくやっていた。



冬などはおヒツのフタの上に猫が乗っていた。
ご飯を茶碗によそう時に猫が乗ったままのフタを持ち上げると重かった。



(テレビで見た)
昭和30年前後、大田区のある小学校の給食調理師の人が
インフルエンザで多くの児童が休み給食のコッペパンが残った。
当時休んだ子にもパンを届ける制度だった。
時間が経つと当時のコッペパンは固くなっておいしくない。
なんとかおいしくならないか。
その人は揚げてみて、そこに砂糖をまぶした。
「こりゃいい」
全国給食コンクールでも評判になり全国に広まった
揚げパンの誕生だ。



「英語」の先生が、遠足などで外国人などに遭遇して
生徒たちに会話を強要されて
会話が通じなかった日にゃ、たちまち株価暴落。



チンパンジーがコマーシャルをやっていた「バヤリース」は飲みたかった。
声は谷啓。



昔に比べるとボーイスカウト(ガールスカウト、カブスカウト)ってあまり見掛けなくなった。



商品にやたらアルファベットを使う事があった。
当時、列車の車内販売で買ったのは「OTSUMAMI」。
だれのためのアルファベット表示かいな。
※ただし最近は日本語のまま海外で通用する単語も増えたらしい。
このあいだテレビで見たがスペインで売られている人気食品で
「カニかま」が“SURIMI”という商品名で売られていた。
白いサザンカ
サザンカの花期は長い。

さざんか
『はやぶさ2』打上げから350日
「はやぶさ2」打上げから350日目。

1年前に打上げた「はやぶさ2」は2015年12月3日に地球スイングバイをします。
軌道修正と増速。



―――――



<その他のサイエンスニュース>




2015年11月16日(月)南極観測船しらせが横須賀基地から南極に向け出航した。
57次南極観測隊員は空路オーストラリアに行きしらせに乗る。
年末~年始に昭和基地に着く予定。
越冬隊員は30人(内女性は5人)。


いよいよ2015年12月7日金星探査機「あかつき」が金星周回軌道に乗るための再挑戦を行なう。
2010年に機器の不具合で失敗してから、後が無い再挑戦。


2005(平成17)年7月10日に打上げたX線天文衛星「すざく」の観測結果を元にした論文の数。
• 査読つき学術論文:762件(2014年12月末まで)
• 学位論文:227件(うち博士論文64件)※海外で出た学位論文は含んでいない。
各種の不具合が出ているので平成27年8月26日に観測運用を終了した。
大気圏再突入は2020年代前半の見込み。
次世代機は2015年度に打上げられる予定。


直径約600mの小天体が日本時間2015年11月1日午前2時ころ地球に最接近し通過した。
地球からの距離は約48万6000㎞で月との距離の1.3倍。
彗星の核部分で既にガスやちりがほとんど無くなっているので
普通の彗星のように尾を引いていない。
したがって最接近の約20日前まで発見できなかった。
もし地球に落下していたら気象大変動で生物滅亡の恐れがあった。


プシケという名の金属(鉄とニッケル)だけで出来ている極めて珍しい小惑星があるそうだ。
地球などの普通の惑星でも中心部は鉄などの金属で出来ている。
したがって小惑星や惑星の衝突で外側が剥がれて中心部分だけが残ったのかも知れない。
NASAがこの星に探査機を飛ばす可能性があるそうだ。


CTA (Cherenkov Telescope Array)は、世界で一つという大規模なTeV ガンマ線望遠鏡群。
大口径(23m)、中口径(12m)、小口径(4.3m)の反射望遠鏡を全世界に118基設置する予定。
カナリア諸島(スペイン領)の起工式に出席のためノーベル物理学賞の梶田隆章氏が2015年10月8日日本を出発した。


(※前回記事/2015年9月29日
ノイバラ(野茨)、ノバラ(野薔薇)の実
空中にばらまかれた赤玉。

野茨
ムラサキシキブ
ネーミングにやられる。
シロシキブというのもある。

むらさきしきぶ
サルココッカの実
冬には黒くなる。

さるここっか
買物待ち
猫より犬の写真が少ないのは人間が近くにいるから。
単独になるのはこのような人間の買物時間。

犬
電車は今日も(21)/JR御茶ノ水、秋葉原界隈
JR御茶ノ水駅大工事
雨が続いて、昨日やっと晴れたのでちょっと外に出た。
気になっていた御茶ノ水駅の工事とその周辺を写真散策。

JR御茶ノ水駅は周辺に高層ビルが次々と建ち利用人口が増加している。
また周辺の病院に通う患者が移動に苦労が多い。
このような現状の改善のための大工事が始まっている。、

●バリアフリー整備(2018年度完成予定)
御茶ノ水橋口と聖橋口を結ぶ線路とホーム上空に人工地盤を設置し、
コンコースと商業施設を作る。
各ホームにエレベータ1基、エスカレータ2基を配置。
●聖橋口駅前広場機能の整備(2020年度完成予定)
●耐震補強工事

神田川に張り出すように作業ヤードとして仮設桟橋設置。
現在の鉄道機能を続けながらの大工事なので期間は掛かる。

おちゃ1おちゃ2
『イカロス』 2,000日
宇宙ヨット『イカロス』が打上げから2,000日経過した。

冬眠中。
来月あたりに目を覚ましそうな気配ではある。
昭和三十年代は遠すぎる(12)
おじさんたちは耳にタバコを挟んでいた。
耳穴にコイン(百円玉など)を嵌め込んでポケット替りにしているおじさんもいたな。



小学校の頃入り浸っていた親友の家でよく遊んだ。
野球盤、コピットゲーム、回り将棋、積み将棋(詰め将棋ではない)。
その家の庭にイチジクの木があってよく登った。
犬がいてワタシにもよくなついていた。



地下鉄丸ノ内線の今の「銀座駅」は1964(昭和39)年の夏まで『西銀座駅』という名前だった。
後から日比谷線の「銀座駅」が出来て銀座線「銀座駅」も地下で繋がったので「銀座駅」に統一したんだね。
都営浅草線は地下で繋がっていても「東銀座駅」のまま。組織が違うから。



新聞折り込みチラシの裏が白いままだったから切ってメモ用紙にしたもんだ。
今はほぼ全部が両面印刷だからメモ用紙にはならない。
たま~に片面印刷の広告チラシを見掛けると「うわ、珍しい!」。



乾燥芋をおやつにしたな。



銀座8丁目のリクルート本社の場所は、
その前はキャバレー太郎の店『銀座ハリウッド』だった。



当時ウチで売っていた納豆は経木で三角形に包んであった。
藁苞(わらづと)で包んだ納豆もあったが、そっちは少し高かったような気がする。



夏休みはラジオ体操。
6:30寝ぼけマナコのまま近くの神社に行ってラジオから流れる音楽に合わせて…。
終りに首から掛けたカードにハンコを押してもらう。
それから夏の暑い一日が始まった。



暗くなるまで遊んでいると“人さらい”が来るよと脅された。
言う事を聞かないで聞き分けが悪いと
「お前は四ツ木橋の下で拾ってきたんだから、また捨てて来るよ」と脅された。



小学校くらいの頃、メートル法が浸透して来た。
それまでは何匁(もんめ)なんてやってた。
足袋は文(モン)。ジャイアント馬場は16文キック。



当時、餅は正月だけの食べ物だった。
すぐには食べきれないので黴ないように水餅にした。
それでも長い日数は難しい。
カビた部分だけ削って食べた。
本当は黴の菌糸が深く浸透していただろうから、
今から思うと「いかがなものか」的処置だったのだろう。
*
あまりにも有名な話だが。
「彦六師匠、餅ってどうしてカビるんでしょうねえ」
「ばかやろう、早く食わねえからだ」
ツワブキ
ツブヤキ(呟き)に似ている。

つわぶき
亀戸天神
キタテハ(黄立羽)
公園で白いペンキを塗った鉄柱にチョウが止った。
撮って家でネット検索したらキアゲハのようだ。
これはよかった。

きたては
元京成電鉄本社跡
スカイツリーの隣接地は京成電鉄の本社だった。
移転して跡地にはホテルやスーパーといくつかのニトリなどの専門店が入るようだ。
来月オープンか。
これは駐車スペース。

押上
昭和三十年代は遠すぎる(11)
「五千円紙幣」の使用開始は昭和32年から。
「一万円紙幣」の使用開始は昭和33年から。


セスナから広告ビラが撒かれた。
ヒラヒラひらひら空中を舞ってゆっくり落ちて来た。
それを自転車で追いかけて拾いに行った。
今じゃ考えられない。


近所に南竜館という映画館があってそれなりに行った。
当時の日活映画のスターたちは印象が強い。
宍戸錠、小林旭、石原裕次郎、川地民夫、二谷英明、和田浩治、葉山良二、浅丘ルリ子、笹森礼子、赤木圭一郎…。
二谷英明がたいてい良い人の役。
最後の最後に二谷英明が密輸組織に潜り込んでいた海上保安官だった事が分かったりして、めでたしめでたしで終わる。
川地民夫と言えば日活退社後、東映に多く出演。
東映映画「まむしの兄弟」シリーズで菅原文太の弟分役を軽妙に演じていて、
往年の池袋文芸坐の深夜映画では、川地が映ると「川地! よしッ!」の声が飛んでいた。
(何が“よしッ!”なんだか)


初めて買ってもらった超初心者向けカメラが「フジペット」。
東京ミッドタウン(六本木)のフジフイルムスクエアに昔からのカメラが展示してあり、
そこでそれを見つけた時は懐かしかった。


日本テレビで『ホイホイミュージックスクール』という番組があった。
タレント発掘番組のハシリ。
司会は鈴木やすしと木の実ナナ。
ふたりとも水兵帽を被っていた。
WEB検索すると番組名には「味の素」の冠が付いていた。
この時ドリフターズが初のレギュラー出演で伴奏を受け持っていたとは。


われわれより下の世代の男子たちは、やたら『ガンダム』に思い入れが強いようだ。
ワタシは『ウルトラマン』も微妙に世代がズレていて特に思い入れは無い。
やはり同時代だったのは『鉄腕アトム』であり『鉄人28号』だった。


定期テストが終わった日にはたいてい映画に行った。
テアトル東京の大画面で「ベン・ハー」か「アラビアのロレンス」を見たのもそんな時だったような。


昭和46年だけど、何を思ったか作家の深沢七郎が
東武の曳舟駅のすぐ近くに今川焼の『夢屋』を出した。
開店の時買いに行った。
本人がいて手渡してくれた。
当方が長髪だったので「これも上げよう」と
横尾忠則が夢屋のために作ったポスターもくれた。


ウチの店では鯨のベーコンを売っていたが
そもそもクジラは“代替品”だと大人になってから知って愕然とした。
外側のあの毒々しい赤色、ギトギトした脂身。
だけどねタラコだって赤く着色してあるのヨ。
着色してないタラコは誰も買わない。


浅草に行くと人形焼がおみやげの定番だった。


昔は映画館で、映画の合間に短いニュース映画が上映された。
“パラマウントニュース”などのナレーションは独特な抑揚の竹脇昌作。
「竹脇昌作がお送りしました」と締めくくられた。
“竹脇節”とも“マダムキラーボイス”とも言われた。
(マダムキラーって死語だね)
特徴的だったので昔はよくモノマネされた。
俳優竹脇無我のご父君。無我さんももう冥府の人になっている。
ウィキペディアを見たら、当初NHKに入局したがわずか1ヵ月で退職したとの事。
個人的勘ぐりだが、もしかしたら独特の抑揚が原因か。
『…アメリカぁ、フロリダ州のケープカナベラル・ロケット実験場からぁ
リスザルを乗せたジュピター13号機が発射されましたぁ』


日曜の朝、細川隆元と小汀利得の「時事放談」。
朝 陽
ちょっと用事で早朝自転車で移動。
快晴で朝陽に映える。

朝陽
防災訓練
地域の防災訓練に参加(小学校校庭)。

集まったのはざっと200人くらいか。
煙りハウス、起震車、AED、放水、消火器操作、担架、三角巾、バケツリレーなどぐるりとひと通り体験。

煙りが充満したテントに入ると自分の手も見えない。
起震車で震度7も体験。とてもじゃないが冷静ではいられない。
ヘルメットを被ってもゴツゴツと頭がテーブルにぶつかる。

煙りハウス起震車
放水
昭和三十年代は遠すぎる(10)
われわれが小さい頃は“満”でなく“数え”だったから
元旦でみんな一斉に歳を取った。


船橋ヘルスセンターにはよく行った。
靴をビニール袋に入れて持ち歩いた。
ローマ風呂だとか、香水風呂だとか、ナントカ風呂だとか
とにかくお風呂からお風呂に渡り歩いたものだ。


小学校の頃の運動会や学芸会などの校長先生の挨拶で
「皆さんがマチニ待った日が来ましたね」を
「町に待った」と解釈してワタシの小さな頭はどういう意味かなと思っていた。
中学の時の生徒会の集まりで、
誰かの発言に「グタイ的に言うと…」とあり、
ワタシは「舞台的に」と解釈してどういう意味かなと思った。
“具体”という抽象概念を理解出来ていない未発達な子供だった。


「紙石鹸」ってのがあって、小学校時代女の子たちが使っていた。
いい匂いの消しゴムもあったが、消しゴムとしての性能は普通の消しゴムの方が良かった。
「ボンナイフ」は中学校時代にみんなが持っていた。


小学校の頃の社会科見学で当時豊洲にあった東京ガス工場に行った。
ガス臭かったのが印象に残っている。
今そこは築地から移転する新しい中央卸市場の建設中。


i以前ラジオで聴いたが、
横綱吉葉山が当時業平時代の中華『五十番』に食べに来て、
王貞治に「坊や、いい身体してるな相撲に来ないか」と言われた事があるそうだ。
中学時代の王クンは痛いのが嫌いだったので断った。
「まあ、横綱は冗談半分、本気半分だったですね」と言っていた。


“スピッツ”ってやたら吠えてうるさい犬だった。
今は見掛けない。
その後「名犬ラッシー」の影響で“コリー”ブーム。
コリーを見るとみんな「ラッシー、ラッシー」と言った。


当時の魚肉ソーセージってマグロ(+クジラ)が原料だったんだって。
信じられない。
今ほどマグロの価値が高くなく練り物に使われていたなんて。
30年代後半から白身魚の冷凍すり身が原料になった。
ちなみに魚肉ソーセージは日本発祥。
当時1本30円。卵は10円、コロッケ5円。


紙芝居のおじさんが回って来た。
空き地に自転車を止めて、太鼓または拍子木を叩いて近所をひと回りして知らせる。
子供たちが集まって来ていろいろ買う。
水飴、ソースせんべい、ヌキ(型抜き菓子)。
名前が分からないが四角なお菓子を、丸く繰り抜いてコインを通せたら何等とか。
細長いビニール袋に入ったゼリー。梅ジャム。


校門脇に粘土の型屋が来た。
型に入れた粘土を抜いて出来を比べる。
何日か連続して来て出来栄えを批評したりして
ステップアップを促し上級の型を売る。
頃合いを見計らい来なくなる。


昭和40年代だが、キックボクシングの
沢村忠の真空飛び膝蹴り。


今の渋谷ヒカリエがある所に東急文化会館があって、
そこの五島プラネタリウムに学校行事で行った。たしか小学校時代。


「みゆき族」ってのもいましたね。
“VAN”や“JUN”の紙袋やズダ袋を抱えてみゆき通り周辺にたむろしていた。
ウィキペディアで見ると東京五輪前のわずか半年の社会現象。
時代が生んだカルチャーなのかアダ花なのか。
高校クラス会
昨日、高校のクラス会。
1967年3月卒業。
60代半ばを過ぎ、多くの者が現役を離れたので時間に余裕が出来た。
こういう会も集まり易くなった。

151031クラス会