普段のズボン(その2) 島の法則
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
島の法則
島嶼部と近接する大陸部に生息する同種動物の体格比較。
もちろん法則には例外が付き物であり、
明確に当てはまらない例やむしろ逆ではないかという例もある。
それでもなお概略としてその傾向があるであろうという本筋は否定できない。

『大型の動物の場合は、その中でも小さな個体の方が
代謝量の減少や性成熟が早いなどの点で島嶼地域では生存と繁殖に有利である。
そのため体格が縮小するような選択圧が働くと考えられる。
小さな動物では捕食者が少ないことで捕食圧が減り、捕食者の目を逃れるための
小さな体を維持する必要がなくなる』(ウィキペディア)
つまり“島では大型動物は小さくなり、小型動物は大きくなる”という事。

例えば、大陸の象は大きく、島の象は小さい。
大陸のネズミは小さく、島のネズミは大きい。

1964年にフォスターによって『島嶼における哺乳動物の進化』として発表され、
さらに1978年にウィルソンらによって拡張された『島嶼生物学の法則』だそうだ。
この法則の事は生物学者本川達雄氏の『ゾウの時間ネズミの時間』の本で初めて知った。

ここまでは科学分野の話。
ここからはワタシの想像の話。

この法則は身体のサイズ以外にも、
例えばヒトあるいは民族の性格にも似たような事が言えるのではないか。
もちろん例外もあるだろうし異論もあるだろうが。


<島の人々のメンタルについて>
さて日本人である。

当初日本列島には1万年以上前から狩猟・採集文化の縄文人が広く住んでいた。
そこへ紀元前数百年くらい前から農耕文化を持つ弥生人が流入して来た。
ここらへんは歴史の教科書で勉強した。
文化程度の差は武器の差でもあり、後から入って来た弥生人たちが縄文人を駆逐し始めた。
もちろん広範囲で混血もなされただろう。
住み易い場所は弥生人及び混血弥生人が占拠し、純粋な縄文人たちは
条件の悪い辺境や山の上にじりじり後退せざるを得なかった。
世界各地で同じような事が繰り返されただろう。
ここらへん細かく言えば諸説あるだろうけどとりあえず大筋で捉えて下さい。

それから2千数百年、
農耕を主体にした社会が続いたのはわれわれが知っている通りである。
狭い限られた土地で長い期間農耕社会が続いて来た。
それに付随するすべての“ありよう”が現日本人の血となり肉となり染み付いた。

農耕は季節的で集約的な作業であり、皆が一斉に同じ作業をする事が必要である。
農耕社会に変わり者の居場所はない。
突出した才能・異能の人の居場所はない。
弾き出されるだけだ。
事なかれ主義、長い物には巻かれろが処世術の主流と成らざるを得ない。
目立ってはいけない。出る杭は打たれる。
その替り狩猟社会に比べ食生活は安定した。
回りは海であり、他民族からの脅威・侵蝕は極めて稀であった。
民族としての資質・形質は純化・均一化する。
他人を押しのけても天下を取るという意識は少数の特別の人しか持たない。

一方大陸では常に脅威が存在する。
様々な文化が拮抗し重なりぶつかり合う。
その分、異文化との交流や競合が生まれ文化発展も早い。
王朝の興亡が繰り返され、裏切り、皆殺しも頻繁にあっただろう。
環境が影響を及ぼし、感情の起伏も激しく猛々しくもなる。
自分以外あるいは血の繋がった仲間以外は基本的に信用出来ない。
「オレがオレが」と主張しないと誰にも認められない。
認められなければ浮かび上がれない。
競争が激しい。
途轍もない巨人や天才、異才が生まれる素地がある。


さてサッカーである。
こういう風土で育ったわが国では噛みつき兄ちゃんも出て来ないし、
ゴリゴリ押してくるロッベンも出て来ない。
ミドルシュートをビュンと決めるメッシもネイマールも出て来ない。
おとなしい草食系、さわやか系で
遠慮してシュートも打てないようなサッカーしか出来ない。
一番突出してもせいぜい本田レベルである。
シュートをして点を取るのが本来なのにそれを忘れて
カッコいいパスをするのが究極の目標のような、
歌を忘れたカナリアのようなサッカー。

島国で、和をもって尊しとなす農耕民族のわが国に
こすからい、本当の意味の無我夢中の、獰猛なサッカー…、
目の前の獲物を倒さないと妻子や村中が飢え死にするというような、
切迫状況のサッカーを要求するのはそもそもムリなんじゃないのだろうか。


――


なにい、結局サッカーの話がしたかったのか。
それを言うために生物学の話から始めたか。
長生きするぜ。(はい、そうします)