普段のズボン(その2) 間宮林蔵
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
間宮林蔵
先日、東京都現代美術館に特別展『ミッション[宇宙×芸術]』を見に行った。
見終わって近辺を散策しながら駅に向かう途中、“間宮林蔵の墓”を発見した。
江東区平野2丁目。
予期せぬ出会いだったので少し呆然となった。

間宮林蔵という人はワタシにとって結構見上げるような人。
先人の苦労が如何ばかりだったかと思いを馳せる。

ま、もちろん純粋な冒険家ではない。
農民の出だが技術職として幕臣となる。
主任務の測量以外にも北方の防衛のための情報活動も重要な任務となった。
対ロシア、対清国。

間宮林蔵 比較的新しく感じるのは、元の墓石は3月10日の東京大空襲で破損したので戦後建て直されたから。



傍らに江東区教育委員会が立てた説明板があった。
そのまま引き写す。



間宮林蔵は、安永9年(1780、一説に安永4年)、常陸国(茨城県)筑波郡上平柳村に生まれ、天保15(1844)年に深川蛤町の家で没しました。
名は倫宋(ともむね)といい、伊能忠敬に測量を学び、寛永12(1800)年に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
文化5(1808)年、幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した林蔵は翌年7月2日単身樺太からシベリアへ渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。この15ヵ月間におよぶ探検で、樺太が島であることが明らかにとなりました。
林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を欧州人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名となりました。
平成2年2月1日