普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(4)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(4)
トロリーバスが走っていた。
道路の上に張り巡らされた架線から、車体のポールを通じて電気を取る。
たまに架線からポールが外れてしまう時があるが、
車掌が降りてポールに付いているロープで引っ張って架線に嵌め直す。
ポールを架線に接触させる時にバチバチと火花が出た。
トロリーバスはみんな男の車掌だった。


普通の乗り合いバスはボンネット型だった。
車内には女性の車掌さんがいた。
揺れる中で倒れないように足を踏ん張りながら切符を売っていた。


今のように交通信号が全部の交差点に有ったわけではないので、
真ん中に交通警官が立つ台を置いて「手信号」で捌いていた。


カメラがフイルム式だったので「まだ枚数が残っているから」となかなかDPE屋に行かず、
春に撮った写真が秋に出来上がるなんて事が有り勝ちだった。


『少年』という月刊漫画雑誌を毎月読んでいた。
「鉄腕アトム(手塚治虫)」「ナガシマくん(わちさんぺい)」「鉄人28号(横山光輝)」「矢車剣之助(堀江卓)」「ストップ!にいちゃん(関谷ひさし)」「サスケ(白土三平)」などが連載されていた。
本誌の他に別冊付録がたくさん付いていた。


エレベータに乗るのはデパートに行った時くらい。
特に下りる時は胃のあたりが気持ち悪くなるような“降下感”が有った。
今のエレベータで感じないのはエレベータ自体に技術革新があったのか、
ただ単におとなになったからなのか。
同じような事で、なんかの拍子にタクシーに乗った時、
当時の道路は凸凹で、その段差でひゅっと“降下感”に見舞われると
ゾワゾワとミゾオチが気持ち悪くなった。


昔の町の映画館はだいたい「3本立て」。
フイルムを近くの館と共同で使い回すので上映が済んだ分から
次の上映館に自転車で運び屋が運ぶ。
長い間には「次のフイルムがまだ届かない!」なんて綱渡りの危機があったんじゃないだろうか。


銭湯で、今はロッカーになったが昔は“衣類籠”だった。
衣類を竹籠に入れて板の間の隅に置くだけだった。
銭湯で越中フンドシや六尺フンドシをしているおジイさんを
以前は見かけたがさすがにもう見ない。
(東京の銭湯は7月から460円になる見込み。現行450円)


小学校の頃集団で注射をする時、1本の注射器で5人位打ったね。
今の基準だと危なかった。
昔は注射器も針も煮沸消毒して使っていた。
今は全部一回こっきりの使い切りでしょ?


仕事帰りの“おじさん労働者”が酒屋でちょっと一杯。
酒屋のオヤジが樽の口から升(またはコップ)に注ぎ、
終わるとキュッと木の栓を閉める。
フトコロが許せばシャケ缶をつまみに。
缶ビール自販機もワンカップも無かった時代。
そういう酒屋での立ち呑みを“角打ち(かくうち)”と称するとは
オトナになってから知った。


昭和32年、谷中の天王寺五重塔が焼けた(男女の放火心中)。
露伴の小説『五重塔』のモデルだった。
関東一高い塔(約35m)だったが、今は礎石だけ残って更地のまま。


“お化け煙突”は当時の下町名物だった。
千住桜木町にあった東京電力火力発電所の4本煙突。
平べったい菱形のレイアウトなので見る方向によって1~4本に変化した。
輪切りにした記念モニュメントが尾竹橋際の帝京科学大学千住キャンパス敷地にある。
お化け煙突 当時の平面図




(※前回記事/2014年8月20日