普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(8)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(8)
当時は「東洋一の~」という形容詞がよく使われた。
「世界一」はなかなか手が届かなかったのだ。



給食で「揚げパン」が人気があったな。
あと「シチュー」もおいしかったね。
脱脂粉乳のミルクを「まずかった」という意見が定番だけど
ワタシはそんなでも無かったと弁護したい気持ちがある。



中学校の頃、問屋のおじさんに連れられて、
当時南千住にあった「東京スタジアム」にナイター見物に行った。
大毎オリオンズ対東映フライヤーズ。
この球場は「永田ラッパ」の大映永田雅一社長が作った。
交通が不便だったのとパリーグは人気がイマイチだったので
累積赤字が積り短命な球場だった。
左中間、右中間の膨らみが無いのでホームランが出易かったが
付帯設備は当時としては最先端でその後の球場の手本にもなったらしい。
今は荒川総合スポーツセンターや南千住警察署などが建っている。



最近の電信柱は金属に変わりつつある。
今まではコンクリートだった。
その前は木製だった。
クルマがコスルので保護の金属板が付いていた。
コンクリート製にも保護板は付いている。



小学校入学式の集合写真の時はフラッシュではなく
マグネシウムをボワッと焚いたね。



バイクの荷台の「出前機」は1950年代中頃、都内の蕎麦屋さんの発明。



ワタシが小学生の頃、父と浅草のお酉さま(大鳥神社)に行ったことがある。
まだ浅草が日本一の盛り場だった余韻が残っていた時代で
まあその群衆の凄まじさと言ったらなかった。
とにかく迷子にならないようにギュッと手を繋いで流れに身をまかせた。
どういう道順で、行って帰って来たのか人混み以外全く覚えていない。



お盆が終わるとお供え物の胡瓜の馬と茄子の牛などを
下敷きの筵で丸めて四つ木橋の上から川に流した。
川を汚すのでその後禁止になった。



1964年の東京オリンピックの開会式で秋晴れの空に五輪マークを見事に
描いたブルーインパルスは、練習の時に1回も成功していないんだってね。
本番で奇跡的に成功した。



即席ラーメンが出始めた。
熱湯を掛けて3分、画期的だった。
画期的だったけどなんか不完全だった。
不完全だが画期的という商品だった。



冷蔵庫は氷で冷やした。氷屋さんが配達に来た。
大きなノコギリでザクザクザクザクと途中まで切って最後はコツンと割る。
1貫目、2貫目が単位だった。



ルービック・キューブが大いにはやった時があるが
ワタシは一度も完成した事がない。



洗剤に“おしゃれ小鉢”が付いて来た。
“金銀パール”プレゼントというのもあった。
“♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂”
上原ゆかりの
♪マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、マーブルチョコレート。