普段のズボン(その2) 後藤又兵衛
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
後藤又兵衛
昨年(2014年)のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で初めて知ったのだが
後藤又兵衛は黒田家の家来だった。
官兵衛が有岡城に幽閉されていた時に又兵衛の伯父が従順でなかったので一族追放された。
その後、改めて黒田家の家来に復帰。
官兵衛の息子長政の家来に回された。
又兵衛自身は官兵衛の家来でいたかったが命令だから仕方がない。
長政は又兵衛より八歳くらい年下。
長政がなかなか又兵衛の進言を聞かないので不満が溜って行った。
「おれの言う事を聞かねえ坊ちゃまだなぁまったくよぉ」

官兵衛死去後、義理は済んだと長政を見限って黒田家を出奔する。
その知勇を惜しんで各大名から誘いの声が掛かるが
長政から「奉公構(ほうこうかまい)」の回状が出て再就職が出来ず浪人となる。
やくざの「破門状」のようなもので他家に就職出来ない。

時あたかも大阪の陣が出来(しゅったい)し、豊臣方に合流する。
これで長政とは敵味方に分かれた。
やっと自分の思う通りの事が出来る。
侍としての“死に場所”を探していたのだろう。
同じく“死に場所”を探して時期を待っていた真田幸村も大坂城に入る。
幸村も九度山蟄居のまま朽ち果てるのは口惜しい思いを持ち続けていた。
かくして二人とも夏の陣で思いを遂げた。

来年(2016年)のNHK大河ドラマが『真田丸』。
冬の陣の講和で外堀も内堀も埋められて丸裸になった大坂城。
世間知らずの淀君側は、百戦錬磨で老練な家康に騙された。
秀吉が造った難攻不落の大坂城も堀が無ければハリボテ同然だ。

もう籠城は無理だから野戦やむなしと幸村が進言しても
淀君は城を過大評価し消極策しか出て来ない。
しかも城方は幸村が本当に信用出来るのかと疑心暗鬼。
幸村の兄の真田信之は徳川方におり家康の養女を嫁にしている。
当時の常道として家康は政略結婚のために実子や養女をたくさん用意している。
せめてもの善後策として急遽大坂城の飛び地として出城の「真田丸」を造って
攻撃のかなりの部分を幸村が一身に受け止める事にする。
ドラマ『真田丸』が楽しみだが脚本が三谷幸喜なのでおちゃらけにならないと良いのだが。

さてあくまで俗説だがこの夏の陣の乱戦中に家康の本陣が攻められ
家康が輿で逃げる途中に後藤又兵衛の槍で輿ごと突き通され、
安全な所まで逃げ切って輿を開けたら家康は既に事切れていた説。
この事はあくまで秘され影武者が立てられた。
急いで戦後処理をして、体制を整えて安定させてから
影武者を始末して家康が公に死んだ事になった。
夏の陣から“家康の死”まで1年経っていない。
遺骸を一時的に隠した堺市の南宗寺(なんしゅうじ)は
江戸時代を通して幕府により庇護された。
じゃ、鯛の天ぷらに当ったというのは影武者の方かいな。
知り過ぎた影武者を消すために毒を盛ったか。
いや俗説、俗説。