普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(10)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(10)
われわれが小さい頃は“満”でなく“数え”だったから
元旦でみんな一斉に歳を取った。


船橋ヘルスセンターにはよく行った。
靴をビニール袋に入れて持ち歩いた。
ローマ風呂だとか、香水風呂だとか、ナントカ風呂だとか
とにかくお風呂からお風呂に渡り歩いたものだ。


小学校の頃の運動会や学芸会などの校長先生の挨拶で
「皆さんがマチニ待った日が来ましたね」を
「町に待った」と解釈してワタシの小さな頭はどういう意味かなと思っていた。
中学の時の生徒会の集まりで、
誰かの発言に「グタイ的に言うと…」とあり、
ワタシは「舞台的に」と解釈してどういう意味かなと思った。
“具体”という抽象概念を理解出来ていない未発達な子供だった。


「紙石鹸」ってのがあって、小学校時代女の子たちが使っていた。
いい匂いの消しゴムもあったが、消しゴムとしての性能は普通の消しゴムの方が良かった。
「ボンナイフ」は中学校時代にみんなが持っていた。


小学校の頃の社会科見学で当時豊洲にあった東京ガス工場に行った。
ガス臭かったのが印象に残っている。
今そこは築地から移転する新しい中央卸市場の建設中。


i以前ラジオで聴いたが、
横綱吉葉山が当時業平時代の中華『五十番』に食べに来て、
王貞治に「坊や、いい身体してるな相撲に来ないか」と言われた事があるそうだ。
中学時代の王クンは痛いのが嫌いだったので断った。
「まあ、横綱は冗談半分、本気半分だったですね」と言っていた。


“スピッツ”ってやたら吠えてうるさい犬だった。
今は見掛けない。
その後「名犬ラッシー」の影響で“コリー”ブーム。
コリーを見るとみんな「ラッシー、ラッシー」と言った。


当時の魚肉ソーセージってマグロ(+クジラ)が原料だったんだって。
信じられない。
今ほどマグロの価値が高くなく練り物に使われていたなんて。
30年代後半から白身魚の冷凍すり身が原料になった。
ちなみに魚肉ソーセージは日本発祥。
当時1本30円。卵は10円、コロッケ5円。


紙芝居のおじさんが回って来た。
空き地に自転車を止めて、太鼓または拍子木を叩いて近所をひと回りして知らせる。
子供たちが集まって来ていろいろ買う。
水飴、ソースせんべい、ヌキ(型抜き菓子)。
名前が分からないが四角なお菓子を、丸く繰り抜いてコインを通せたら何等とか。
細長いビニール袋に入ったゼリー。梅ジャム。


校門脇に粘土の型屋が来た。
型に入れた粘土を抜いて出来を比べる。
何日か連続して来て出来栄えを批評したりして
ステップアップを促し上級の型を売る。
頃合いを見計らい来なくなる。


昭和40年代だが、キックボクシングの
沢村忠の真空飛び膝蹴り。


今の渋谷ヒカリエがある所に東急文化会館があって、
そこの五島プラネタリウムに学校行事で行った。たしか小学校時代。


「みゆき族」ってのもいましたね。
“VAN”や“JUN”の紙袋やズダ袋を抱えてみゆき通り周辺にたむろしていた。
ウィキペディアで見ると東京五輪前のわずか半年の社会現象。
時代が生んだカルチャーなのかアダ花なのか。