普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(11)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(11)
「五千円紙幣」の使用開始は昭和32年から。
「一万円紙幣」の使用開始は昭和33年から。


セスナから広告ビラが撒かれた。
ヒラヒラひらひら空中を舞ってゆっくり落ちて来た。
それを自転車で追いかけて拾いに行った。
今じゃ考えられない。


近所に南竜館という映画館があってそれなりに行った。
当時の日活映画のスターたちは印象が強い。
宍戸錠、小林旭、石原裕次郎、川地民夫、二谷英明、和田浩治、葉山良二、浅丘ルリ子、笹森礼子、赤木圭一郎…。
二谷英明がたいてい良い人の役。
最後の最後に二谷英明が密輸組織に潜り込んでいた海上保安官だった事が分かったりして、めでたしめでたしで終わる。
川地民夫と言えば日活退社後、東映に多く出演。
東映映画「まむしの兄弟」シリーズで菅原文太の弟分役を軽妙に演じていて、
往年の池袋文芸坐の深夜映画では、川地が映ると「川地! よしッ!」の声が飛んでいた。
(何が“よしッ!”なんだか)


初めて買ってもらった超初心者向けカメラが「フジペット」。
東京ミッドタウン(六本木)のフジフイルムスクエアに昔からのカメラが展示してあり、
そこでそれを見つけた時は懐かしかった。


日本テレビで『ホイホイミュージックスクール』という番組があった。
タレント発掘番組のハシリ。
司会は鈴木やすしと木の実ナナ。
ふたりとも水兵帽を被っていた。
WEB検索すると番組名には「味の素」の冠が付いていた。
この時ドリフターズが初のレギュラー出演で伴奏を受け持っていたとは。


われわれより下の世代の男子たちは、やたら『ガンダム』に思い入れが強いようだ。
ワタシは『ウルトラマン』も微妙に世代がズレていて特に思い入れは無い。
やはり同時代だったのは『鉄腕アトム』であり『鉄人28号』だった。


定期テストが終わった日にはたいてい映画に行った。
テアトル東京の大画面で「ベン・ハー」か「アラビアのロレンス」を見たのもそんな時だったような。


昭和46年だけど、何を思ったか作家の深沢七郎が
東武の曳舟駅のすぐ近くに今川焼の『夢屋』を出した。
開店の時買いに行った。
本人がいて手渡してくれた。
当方が長髪だったので「これも上げよう」と
横尾忠則が夢屋のために作ったポスターもくれた。


ウチの店では鯨のベーコンを売っていたが
そもそもクジラは“代替品”だと大人になってから知って愕然とした。
外側のあの毒々しい赤色、ギトギトした脂身。
だけどねタラコだって赤く着色してあるのヨ。
着色してないタラコは誰も買わない。


浅草に行くと人形焼がおみやげの定番だった。


昔は映画館で、映画の合間に短いニュース映画が上映された。
“パラマウントニュース”などのナレーションは独特な抑揚の竹脇昌作。
「竹脇昌作がお送りしました」と締めくくられた。
“竹脇節”とも“マダムキラーボイス”とも言われた。
(マダムキラーって死語だね)
特徴的だったので昔はよくモノマネされた。
俳優竹脇無我のご父君。無我さんももう冥府の人になっている。
ウィキペディアを見たら、当初NHKに入局したがわずか1ヵ月で退職したとの事。
個人的勘ぐりだが、もしかしたら独特の抑揚が原因か。
『…アメリカぁ、フロリダ州のケープカナベラル・ロケット実験場からぁ
リスザルを乗せたジュピター13号機が発射されましたぁ』


日曜の朝、細川隆元と小汀利得の「時事放談」。