普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(12)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(12)
おじさんたちは耳にタバコを挟んでいた。
耳穴にコイン(百円玉など)を嵌め込んでポケット替りにしているおじさんもいたな。



小学校の頃入り浸っていた親友の家でよく遊んだ。
野球盤、コピットゲーム、回り将棋、積み将棋(詰め将棋ではない)。
その家の庭にイチジクの木があってよく登った。
犬がいてワタシにもよくなついていた。



地下鉄丸ノ内線の今の「銀座駅」は1964(昭和39)年の夏まで『西銀座駅』という名前だった。
後から日比谷線の「銀座駅」が出来て銀座線「銀座駅」も地下で繋がったので「銀座駅」に統一したんだね。
都営浅草線は地下で繋がっていても「東銀座駅」のまま。組織が違うから。



新聞折り込みチラシの裏が白いままだったから切ってメモ用紙にしたもんだ。
今はほぼ全部が両面印刷だからメモ用紙にはならない。
たま~に片面印刷の広告チラシを見掛けると「うわ、珍しい!」。



乾燥芋をおやつにしたな。



銀座8丁目のリクルート本社の場所は、
その前はキャバレー太郎の店『銀座ハリウッド』だった。



当時ウチで売っていた納豆は経木で三角形に包んであった。
藁苞(わらづと)で包んだ納豆もあったが、そっちは少し高かったような気がする。



夏休みはラジオ体操。
6:30寝ぼけマナコのまま近くの神社に行ってラジオから流れる音楽に合わせて…。
終りに首から掛けたカードにハンコを押してもらう。
それから夏の暑い一日が始まった。



暗くなるまで遊んでいると“人さらい”が来るよと脅された。
言う事を聞かないで聞き分けが悪いと
「お前は四ツ木橋の下で拾ってきたんだから、また捨てて来るよ」と脅された。



小学校くらいの頃、メートル法が浸透して来た。
それまでは何匁(もんめ)なんてやってた。
足袋は文(モン)。ジャイアント馬場は16文キック。



当時、餅は正月だけの食べ物だった。
すぐには食べきれないので黴ないように水餅にした。
それでも長い日数は難しい。
カビた部分だけ削って食べた。
本当は黴の菌糸が深く浸透していただろうから、
今から思うと「いかがなものか」的処置だったのだろう。
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あまりにも有名な話だが。
「彦六師匠、餅ってどうしてカビるんでしょうねえ」
「ばかやろう、早く食わねえからだ」