普段のズボン(その2) 昭和三十年代は遠すぎる(15)
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
昭和三十年代は遠すぎる(15)
東京タワーが昭和33年に出来た時のカラーリングが大展望台の所は赤だった。
そこが今は白になっている。
小学校の時の図画工作の時間に、完成したばかりタワーを描いたのでよく覚えている。


親たちは、特に女親は親戚の家に行ったり、
親戚が来たりした時に
きちんと畳に手を付いて平伏して他人行儀に挨拶していた。
けじめが身に付いていたんでしょう。


1964年の東京オリンピックで初めて「トリニダード・トバゴ」という国がある事を知った。


小学校には二宮金次郎の像があった。
この前テレビで見たのは二宮金次郎と小便小僧の合体で
金次郎さんが本を読みながらオシッコをしていた。


中学生の時、オープンリールのテープレコーダーを買って貰った。
東芝の「カレッジエース」という商品だった。
録音した自分の声の違和感に驚いた。


小学校の時、お昼の校内放送でちょっとしたドラマをやるのに
4~5人選ばれてチョイ役で出た。
放送部の先生がリーダーになりいろいろ指示を出した。
短いセリフしかなかったが初の体験。
あらかじめ録音して給食時間に放送されたが
自分の声が出たら、たまらなく恥ずかしかった。


わら半紙にガリ版。


女性の会社員の呼称が“BG”から“OL”になった。
女性誌『女性自身』の公募で決まり一般に定着した。


駅に伝言板(黒板)が有った。


アマチュア無線というのをやっている人がいた。
家に特殊なアンテナを立てていた。
いろいろグレードがあるようで、今でもかなり大きくて複雑なアンテナがある家をたまに見かける。


伝書鳩も趣味で飼っている人がいた。
新聞社も記事を伝書鳩で送る事もあったらしい。
新聞社にハト小屋があった。


食べてすぐ横になると牛になると言われた。


モスリン、キャラコなどという生地があった。
スフはもっと前か。
メリヤスはまだ現役か。


中学3年の時、晴海貿易センターのスケートリンクに行った。
同級生のT本くんと。
彼はお姉さんがふたりいて、何回も一緒に行って経験があるらしくかなりうまく滑る。
こちらは初めてなので大変苦労したが、1~2時間悪戦苦闘していたら
なんとか少しは滑れるようになって来た。
帰り支度をしていたら場内が騒がしくなって人だかりがしている。
イタリアの女優クラウディア・カルディナーレが映画の宣伝かなにかで来日したついでに
スケートの写真を撮影する企画かなにかで来たらしい。
まったく初めてらしくかろうじて立っているのがやっとだった。
でもにこやかに笑顔を振りまいていた。