普段のズボン(その2) 「知らなかった!」 今川氏真(うじざね)くんの生活と意見
「世の中スイスイ(粋々)、お茶漬けサクサク…」志ん生、志ん朝の噺に出て来るフレーズ。肩の力が抜けてあんにゃもんにゃです。~長い散歩の途中~
「知らなかった!」 今川氏真(うじざね)くんの生活と意見
「知らなかったなぁ」。
今のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』を観るまでは知らなかった。
今川義元は桶狭間で信長の奇襲に遭って戦死。
それにより今川家は滅亡したのだと思い込んでいた。
ところが『~直虎』を観ると、その後も息子の氏真(うじざね)によりしぶとく続いていたのだ。
主人公である井伊直虎は主家である今川家に翻弄され続ける。

タイミングよく7月14日のNHK『歴史ヒストリア』で「戦国一華麗な敗者復活戦~今川プリンスと妻の二人三脚~」をやった。
「へぇ~」の連続だった。

そもそも氏真の親の義元は武家でありながら、公家オタク。
「公家風」が大好き。
当然息子氏真の教育も京から公家を何人も招いて、家庭教師として和歌、連歌、儒学、作法、古典から蹴鞠に到るまでみっちり学習させる。
当時文化は単なる教養ではなく、ステータスとして支配の一手段でもあった。

氏真が16歳の時「早川殿」が嫁いで来た(1554年)。
関東の大大名北条氏康の娘。東隣りの有力者と姻戚関係になりこれで安泰と思われた。
好事魔多し。
それから5年後、父親の義元が戦死。

武家の当主なら弔い合戦に出陣するのが氏真の役割なのだが、何しろ京風に育てられたお坊ちゃんだから「やだなぁ」と思っているうちに家来たちの信任を失う。
それに乗じて義元の代には人質として今川家に預けられていた徳川家康が東側から攻めて来るし、北から武田信玄が攻めて来るしで氏真くん大ピンチ。嫁の実家北条氏の小田原城に逃げ込む。

一難去ってまた一難。嫁の父死去。
後継の息子は宿敵信玄と同盟を組む。
氏真夫妻はまた身の置き所がなくなった。

今度は「家康を頼ろう」。
思考が柔軟というか、いい加減というか、いやはや。国を奪った相手です。
家康も困った。「なんだ、こいつは」プライドのかけらもない。
まぁ、名門今川家は利用価値もあるだろうと家臣にする。

今度は家康がピンチ。
三方ヶ原の戦いで家康は信玄に惨敗。
「これじゃ家康殿も頼りに出来んかも…」と心配になり、今度はなんと親を殺した仇の信長を頼った。恥も外聞もない。
タダじゃ会ってくれそうもない「そうだ」家宝の『青磁香炉(銘:千鳥)』を差し出そう。
珍品類に目がない信長が乗ってきた。

信長との会見に憧れの京の都に行けるのが嬉しくて2ヵ月も前に京に入る。
修学旅行生が行くような名所旧跡を回って歌を詠みまくる。うれしさ爆発。

信長に面会し「蹴鞠の会を開くからそなたの技を見せてくれ」。
公家たちを相手に見事に蹴鞠を披露。信長はゴキゲン。
お坊ちゃんの氏真くんの本領発揮。京オタクが役に立った。
「親父を殺されたのにおめおめと頼って来たぜ」と周囲に後ろ指を指されてもあっけらかんとしていた。
(中略)
結局、氏真くんは体育会系でないので家康から戦力外通告をされ捨て扶持でフリーターになる。

血で血を洗う戦国の世の中を横目に見て、氏真ファミリーは京でセカンドライフ。
夢にまで見た理想的な生活。歌会三昧。旅行三昧。
子供たちにはしっかりと教育を施した。

そのうち江戸幕府が出来、氏真は2代将軍徳川秀忠に息子たちを売り込んだ。
「京風の作法、しきたりなどをみっちり仕込んでありますからお役に立ちますよ。公家たちに人脈もたくさんありますし…」。
徳川幕府も京の朝廷との付き合いに苦慮していたので重用した。
氏真享年77歳。

杉並区にある今川の地名は江戸時代今川家に与えられた所領。
今川家は代々江戸幕府の高官に上り詰めていた。
明治新政府でも同じように存在感を発揮。したたかに世の荒波を乗り切った。

何なの? このロング&ワインディングロードは。
人生の正解はひとつじゃ無い。それぞれの人にそれぞれの正解があるだけだ。